『M』『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』

283)『』 (ユーロスペース) ☆☆☆

2006年 日本 『M』フィルムパートナーズ カラー ビスタ  110分
監督/廣木隆一    脚本/斎藤久志    出演/美元 高良健吾 大森南朋 田口トモロヲ 平山広行

 主婦売春を描いた作品だが、本作がデビューとなる美元の、薄幸な表情を巧く引き出し、演技以前のその存在感を画面に定着させることに成功している。
 馳星周の原作を読んでいないので、短編4本(「眩暈」「人形」「声」「M」)を纏めて1本化したとは観終わるまで知らなかったが、道理で随分と主人公の主婦、夫、住み込み新聞配達の少年、売春斡旋のヤクザといった夫々の比重が重く、1本の作品の中に存在する主要キャラクターとしてはバランスを欠くほど夫々が主体的過ぎると感じたので、短編を合わせたと知って納得した。しかし、観ていると、妻と夫とヤクザ、或いは妻と夫と少年、妻と少年とヤクザといった三角関係にするか、誰か一人の比重を軽くした方が良かったのではないかと思った。それと言うのも、更に妻と少年はトラウマを抱えているからで、そこに割く描写を考えても、4人にこれだけの描写を負わせるのは多いと思えた。とは言え、重々しすぎて観ていられないということはないのは、廣木隆一の持つ軽さが幸いしているのか。それだけに前半の河川敷での子供と少年がキャッチボールをする際の横移動や、ラストのクレーンで俯瞰へと移っていくショットは、息苦しさからの開放としても印象的だった。
 原作、シナリオを読んで再見してみたいと思わせる作品ではあった。


 

284)『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』 (渋谷東急) ☆☆★★★

2007年 日本 カラー スコープ 121分
監督/三池崇史    脚本/三池崇史 NAKA雅MURA    出演/伊藤英明 佐藤浩市 伊勢谷友介 桃井かおり 香川照之 石橋貴明 安藤政信 木村佳乃 松重豊 塩見三省 石橋蓮司 堺雅人 田中要次 クエンティン・タランティーノ

 かなり期待していたが、観終わって、頑張ってはいるけれども、と呟かせてしまう作品だった。
 開巻の香取慎吾タランティーノの弛緩しきった長々した会話の段階で不穏な気分にさせつつも、本編に入ると冒頭の『用心棒』を逆輸入したような展開に、これは面白くなるのではないかと期待させつつ、以降それが悉く外れていくのは無念でしかなかった。121分ある本作から30分切って、設定を徹底的にシンプル化させると、まだ面白いのではないかとも思うが、何せ一つ一つのシークエンスが無駄に長く、ここで次のシーンに移れば、と思い続けながら観ていた。
 様々な役者が怪演しているが、伊藤英明の異常なまでの存在感の無さに驚き、佐藤浩市が生真面目過ぎるとか、木村佳乃に画面から香り立つ色気が無いとか、メインの役者が弾まないので、その下を受ける伊勢谷友介安藤政信らも、こじんまりした芝居に終始しているように思える。もっと毒々しく怪演しても良い役の筈だ。破天荒な映画なのだから、この無茶苦茶な世界観に拮抗する演技をしているのが一部だけだったのが惜しまれる。その一部の筆頭には当然桃井かおりの名を挙げねばならず、前半でも既にたいがい目立っていたのだが、後半の正体を見せてからの画面からの立ち具合は観ていて興奮させる程で、ここからようやく映画が動き出した感があった。以降はひたすら桃井、桃井と、もう頬づえついて観ている場合ではないと身を乗り出して彼女が出てくるのを待っていたが、いくら嫌いな役者ではないとは言え、時としてはやりすぎる嫌いのある―『無花果の顔』という酷い監督作を今年見せられた恨みも忘れて彼女の出を待ったが、この何でもアリな世界に存在可能なのは桃井かおりなのだと認識させられた。出演していないが、哀川翔小沢昭一でも存在可能であっただろう。小沢昭一で思い出したが、本編中で突如、「サヨナラだけが人生だ」と台詞で言わせた上に字幕でも出したのには驚いた。井伏鱒二のというよりも、映画方面では川島雄三今村昌平を象徴する言葉だが、『カンゾー先生』でも世良正則に言わせていたが、川島の孫弟子からの今村への追悼と言うべきか。
 桃井にハナシを戻せば、いくら切れが無くとも、銃を構え、走り、飛び、倒れる、というサマが一々映画になっているのは何故か。桃井かおりだから、と言うしかないのだろうか。その他では香川照之松重豊塩見三省田中要次などは、作品の世界観に拮抗しうる存在感を見せていたが、香川照之の怪演は、その周りの役者が同じレヴェルに達していないと成立しない芝居だと思えたので残念だったが。こうして観ると、役者の層の薄さを実感するが、とは言え、あのヒトを配したら成立すんじゃないかなどと思いながら観ていた。とりあえず田口トモロヲは確実に。
 北島三郎の『ジャンゴ〜さすらい〜』を、エンドロールを眺めながら聴きつつ、空虚感よりも何が駄目で、どうすれば良かったのかと考え込ませてしまう不発作だった。