映画評論家・水野晴郎死去 

 10日未明に亡くなった模様。東スポでしか報道されていなかったのでガセかと思っていたら、テレビ朝日、TBSなどでも報道されて、各紙続いたので、残念ながら事実とのこと。76歳。
 年代的には「金曜ロードショー」の司会でその存在を覚えたので、『映画評論』誌で加藤泰や、第二東映について熱心に書いていた水野和夫(当時は本名で批評を書いていた)を知ったのは後になってからだ。
 机上だけの評論家が多い中、水野晴郎は『カサブランカ』すら長らく再映することが出来なかった当時に動いて再映にこぎつけたり、未輸入のヒッチコック映画『バルカン超特急』(原題は“The Lady Vanis”だが、この邦題にしたのは水野)などを輸入したりと、彼の手によって日本でも観ることが出来た作品も数多い(『十字砲火』を日本初公開した時だったか、冒頭に<水野晴郎映画生活三十周年記念映画>と付けたものだから顰蹙を買ったりしたこともあったようだが)。又、田山力哉が『TVタックル』で北野武大島渚崔洋一井筒和幸相手に映画批評を巡って孤軍奮闘した時も、『キネマ旬報』の普段は温和な内容の連載で珍しく激昂して田山を擁護していた姿なども忘れ難い。
 晩年の十年と少しはシベ超だ。1作目を純情にも『バルカン超特急』テイストの小品の佳作を期待して観に行って茫然とした高3の春の経験も忘れられないが、ご本人は楽しかったようだし、コチラも飽きもせず新作が作られる度に観に行った。監督作としては『シベリア超特急3』が最も良く出来ているが、ご本人の色が一番出ているのはやはり1作目だろう。編集は市川崑が1週間に渡って編集室に来て自ら繋いだらしいが、完成品を観て不信だったのか、クレジットに編集監修(だったか?)/市川崑と入っているのを見て外すように言ったというが、例のロープ投げシーンに『雪之丞変化』へのオマージュがストレートに出ていて、加藤泰がやろうとしていて果たせなかった『好色五人女』を市川崑で映画化する企画なども実現して欲しかったようにも思う。
 金銭にまつわる部分では諸々あったようだが、名宣伝マンから映画評論家、テレビ解説者、映画輸入、果ては珍品映画監督まで、かつては多かったという映画界の蛮人のある種の姿だったのではないかと思うし、ご本人もシベ超を作っている時は実に幸せそうな顔をしていたので、半ば呆れつつも観ているコチラも何だか楽しかった。淀川長治水野晴郎に初めに映画を教わったように思う。テレビ解説と監督作に隠れがちだが、映画評論家としての活動を再評価して欲しいと思う。
 ご冥福をお祈りします。