『果てしなき情熱』(☆☆★★★)/『銀座の猛者』〔『銀座三四郎』改題短縮版〕(☆☆☆)

 新文芸坐の「追悼 市川崑」にようやく初参加。未ソフト化で初見の『果てしなき情熱』(☆☆★★★)と『銀座の猛者』〔『銀座三四郎』改題短縮〕(☆☆☆)を観る。
上映前に、『犬神家の一族』(1976年版)と『鍵』の予告を観れたのが嬉しく、双方とも劇場のスクリーンで予告篇を観たのは初めてなので感動した。


 『果てしなき情熱』は、服部良一をモデルにした音楽家の物語だが、かなりの珍品。芸術家の苦悩を市川崑がモダンに処理しようとすると、こんな無茶苦茶なものになってしまうのかという。開巻からして雨の夜の街頭を路面からパンアップしてクレーンでトラックバックしながら全景を見せて、煙草を吸う女をここぞと見せるところなど、気取りに気取った初期市川崑らしい雰囲気を見せつける。シルエットの影だけで男女の会話を見せたり、扇を下げると山口淑子のエキゾチックな顔が現れたりと、あの手この手の凝った見せ方で楽しませてくれるが、作品そのものは弾まず退屈する。


 『銀座の猛者』は、『熱泥地』などと同じく後年新東宝が旧作を二本立て用に使用すべく監督の預かり知らぬところで改題短縮した中の一本で、その行為自体は今更とやかく言うものではないが、問題なのは、現存するネガがこの改題短縮版しかないことで、これは映画史的損失と言わねばならない。従って、これを観ただけでは『銀座三四郎』を、観たことにはならず、あくまで断片を観たと思わねばらない(タイトルは『銀座の猛者 “銀座三四郎”より』と出る)。
 その上で言えば、原案が『姿三四郎』と同じく富田常雄で、かつては柔道の凄腕の持ち主が主人公で、それを藤田進が演じるとなれば、当然本家の三番煎じぐらいのもので、その他、志村喬や河村黎吉に飯田蝶子などが顔を揃え、『酔いどれ天使』をも思わせるシチュエーションが入ってくれば、モロ黒澤の亜流ということになる。
 とは言え、ここでの市川崑は実直に物語を展開させる堅実な演出に専念しているので、短縮版とは言え観れるものになっている。市川崑らしさで言えば、柱時計の針がストンと下に落ちて、あっという間に三十分経ってしまうギャグを二度挿入したり、ラストシーンを転がったダルマが起き上がるところでエンドマークにするあたりの感覚に感じ入ることができる。