『どたんば』(☆☆☆★★)/『喜劇 特出しヒモ天国』(☆☆☆☆)/『闇の子供たち』(☆☆☆★★★)

 シネマヴェーラ渋谷で「内田吐夢生誕百十年祭」より『どたんば』(☆☆☆★★)を観る。
 テレビ版は、『NHKアーカイヴス』で放送されたものの、そういえば録画したまま観ていないのは兎も角、映画版は初見。しかし、フィルム上映ではなくデジべでの上映。シネマスコープ作品だけに残念ではあった。
 予備知識なしに観始めた本作が、パニック映画であると分かって、途端に興奮した。何せ、『タワーリング・インフェルノ』をこよなく愛しているので。
 炭鉱に水が入り込んで閉じ込められた5人を地上から救出すべく、あの手この手を講じるパニック映画の定石を踏まえた作りなのが嬉しく、和製パニック映画として瞠目しつつ眺めていた。題目を唱え続ける坊主や、アイスクリームを売る業者が居たり、被害者家族と経営者の折衝なども合間に入れ込み、更に朝鮮人労働者が応援に駆け付けるも、アイツらは酒が飲みたくて来ているだけだと陰口を叩かれて揉めたりと、日本的な光景が展開することに瞠目させられた。
 終盤近くになって、突然新たな登場人物が現れて解決してしまう呆気なさも悪くない。ただ、ラストの報道ヘリコプターからの紙吹雪が延々と撒き散らかされる光景が皮肉として機能していれば良いが、そうはなっていないように思えるのが首を傾げ、緊張感溢れるリアリズムで押し通しても良かったのではないか。橋本忍が脚本に参加しているが、この滑稽なまでの過剰さ、軽さは橋本色が強いのではないかと思えた。
 その辺りに何やら違和感を抱いたが、佳作であるには違いない。
 

 パルコのロゴスで、文庫、宮沢章夫東京大学「80年代地下文化論」講義』を購入。
 80年代には嫌悪感しか無かったが、最近人間がこなれてきたのか、三十になったせいなのか、80年代を受け入れようと勝手に思うようになった。そういえば、先日の『27時間テレビ ひょうきん夢列島』で、80年代が蘇っていたことに衝撃を受けたということも関係しているんだろうか。HDレコーダーに録画していたので、何度か主だったところを見返したが、殊に終盤の数分が凄い。2008年なのに、ひょうきん懺悔室のセットがわ組まれ、たけしとさんまの2ショットに、たけしはあろうことか、タケちゃんマンの衣装を着込んでいる。

 リメイク版『犬神家の一族』のようなもので、ある力のある人がそれを強引に推し進めてしまったら、普通ならありえないことが実現してしまうのだと知る。今、いくら好きだったとは言え、企画を出す席で、若い奴が市川崑石坂浩二金田一の新作とか、さんまの総合司会で、『ひょうきん族』をもう一度やるとか言い出したところで一蹴されるに決まっている。それが通ってしまった時、演者がノッた時、突如として80年代が蘇るのだ。
 ということが関係しているのかどうかは定かではないが、とりあえず読もうかと。

東京大学「80年代地下文化論」講義 (白夜ライブラリー002)

東京大学「80年代地下文化論」講義 (白夜ライブラリー002)


 ラピュタ阿佐ヶ谷シネマ紀行 京都ものがたり」から、森崎東喜劇 特出しヒモ天国』(☆☆☆☆)を観る。
 池玲子芹明香絵沢萌子が居て、ヒモ衆には山城新吾や川谷拓三に藤原鎌足などが控えていて、更にその後ろにはピラニアの軍団の皆様がモゾモゾと居るのだから最高に決まっている。果てしなき喧噪と、フッと訪れる静寂の繰り返しに、久々に画面に同化したい思いに駆られる。



 中古レコード屋で、DVD『幽霊男』を購入。2500円。

幽霊男 [DVD]

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 バサラ・ブックスで『フライング・ブックス 本とことばと音楽の交差点』を購入。千円。外の捨て本から『壇の浦夜合戦記』を貰う。

フライング・ブックス―本とことばと音楽の交差点

フライング・ブックス―本とことばと音楽の交差点

壇の浦夜合戦記 (1968年)

壇の浦夜合戦記 (1968年)



 シネマライズ渋谷で、阪本順治闇の子供たち』(☆☆☆★★★)を観る。
 原作を読んでいないので比較できないが、脇目もふらず画面に凝縮された世界を眺めた。これはやはり秀作であろう。子供の臓器提供については詳しくはない。一橋文哉の『ドナー・ビジネス』などで少し読んだことがあるぐらいだ。
 どこまで表現できるか、どこから抑制するのか、という節度を模索した過程の後も窺えたが、もっと激しく、もっと生々しく、という思いもありつつ、ここまでやってくれれば評価しないわけにはいかない。
ただ、『それでもボクはやってない』同様、エンターテインメント系の映画作家がこういった題材を手掛けた時に、普段の軽快さが消えてしまうのは何故か、という思いはある。周防正行に比べれば、阪本順治は普段の片鱗が僅かに顔を出すが、それでも題材の重さに相当肩に力が入っているのは確かだ。
 NGOの女性を体現した宮崎あおいが素晴らしい。眉間に皺を寄せたまま、単に不快な女性像になりかねない役を複眼的に演じていることに驚く。妻夫木聡が助演の時に発揮する存在感も良い。好きな役者ではない江口洋介の好演も印象深く、それだけにラストの壁のショットが響いてくる。
 本来のあるべきラストカットの次に、まったく不要なカットを挿入して、そこに桑田圭祐の全く不向きな、映画全体をぶち壊す主題歌が流れてきたことには呆れた。桑田は嫌いじゃないが、これはあまりにも場違いだ。脚本も読んで内容に沿って曲を作ったと言うが、おそらく日本映画でこの内容を撮ればこの程度だろうと考えて作ったのではないか。阪本順治がここまで厳粛な緊張感溢れる作品を作ってしまうとは思ってもいなかったのではないか。主題歌が不向きでも、エンドロールに持っていったり、キャストロールが終わってスタッフロールに変わってから流すとか、回避策はあったと思うのだが、資本の関係上出来なかったのだろうか。しかし、あれでは本編に食い込んでしまい、作品の完成度に影響が出てきてしまう。
 とはいえ、現在の日本映画でこれだけの力作を目にする機会はなく、阪本順治フィルモグラフィーでも重要な位置を占める作品になったのは間違いない。 
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