『グーグーだって猫である』(☆☆☆★)

 DVD『陽山道』が届く。キム・ギヨンの1955年の作品。先日BOXを買ったら、もう字幕が付いてないとか言ってられなくなった。英語字幕が付いているなら、少しはマシだろうと注文する。2500円ぐらい。

 東京厚生年金会館で、犬童一心グーグーだって猫である』(☆☆☆★)を観る。
 犬童一心は、作品によって出来の乱高下が激しく、『金髪の草原』や『死に花』のような酷い凡作があるかと思えば、『タッチ』のような素晴らしいアイドル映画の佳作や、秀作『メゾン・ド・ヒミコ』を撮ったりもする。自分の弱い所は、世評の高い『ジョゼと虎と魚たち』が悪くないにしても、それほど凄いとも思わなかったところで、再見して今一度見直さなければと思いながら果たしていない。
 本作はどちらかと思いながら観始めたが、原作は読んでいないので比較しようもないが、結論から言えば、『ジョゼと虎と魚たち』よりも落ちるぐらいの出来。
 冒頭の主人公の女性漫画家とアシスタントたちの締切間際の深夜の徹夜作業の光景を観たとき、これは傑作なのではないかと嬉しくなってきた。ほら、あるではないか、あの傑作に漂う独特の空気が。それに近いものが感じられたのだが、そこまでで、以降は凡庸な展開だった。
 この内容で116分は長く、90分程度にして欲しかった。グーグーが家に来るところから始めた方が良かったのではないか。前のネコのエピソードが無駄に長く、後半のその関連の挿話も良いとは思わず、吉祥寺は好きだが、劇中の吉祥寺への過剰な思い入れも好きではない。