『大島渚著作集〈第3巻〉わが映画を解体する』

(3)『大島渚著作集〈第3巻〉わが映画を解体する』四方田犬彦・平沢剛/編 (現代思潮新社)

 待ちに待ったという思いと、こんな日が来るとは思わなかったという思いと共に購入した。今回の著作集を順に購入しているのは、第3巻のためといっても過言ではない。
 それというのも、本書には巻末に『日本の黒幕』の脚本(大島渚内藤誠の共同脚本)が掲載されているからだ。これは既に今年の映画書の中でも画期的な映画史的事件と言って良い。
 『日本の黒幕』は、1979年に降旗康男監督、高田宏治脚本によって製作された東映映画だが、当初は大島渚の監督で準備が進められていた。この辺りの時系列については今度ちゃんと調べようと思うが、当時の『噂の真相』などを参照すると、高田宏治の脚本と、大島・内藤の脚本をドッキングさせようとしていたようだ。大島が高田宏治の脚本を面と向かって叩きつけたとも言う。当時の大島は『愛のコリーダ』と『愛の亡霊』で再び映画監督として第二期とも言うべき時期が始まっており、後世からすれば国際的な作品への傾倒が顕著だと、この後実現した『戦場のメリークリスマス』と共に思いがちなだけに、この時期に東映で右翼ものを撮ろうとしていることに、かなりの違和感を感じる。何せ、『愛のコリーダ』以降の大島は、現代日本を舞台には選ばす、脚本も基本的に単独執筆し、政治的な要素を排除するようになったと言われおり、作品を観ればその通りだからだ。ところが実際は、大島は単に企画が持ち込まれたというだけではなく(『愛のコリーダ』の直後に『人間の証明』の監督依頼を角川春樹から受けているが断っている)、東映からの依頼を受け、脚本製作に精を出し、映画化を試みようとしていたのだ。それを思えば、結果的に『愛のコリーダ』以降の大島には前述の特徴を定義できるものの、同時代的には、現代日本も、共同脚本も、政治的要素を持った作品も撮る気は十分あったようだ。『愛のコリーダ』だって最初は深尾道典に脚本執筆を依頼しているのだし、『戦メリ』の後も『佐川君からの手紙』を寺山修司の脚本で映画化しようとしたり、映画監督の常であるとは言え、現在観ることが可能な大島渚の後期作品群の風景が一変していた可能性は十分あったわけだ。それだけに、結果的に満足できる脚本が仕上がらなかった為とは言え、実現しなかった大島渚版の『日本の黒幕』の片鱗を追うことは、可能性としての大島渚の後期作品群を夢想させてくれる最大級の資料と言えるだろう。
 今、自分の手元には二冊の『日本の黒幕』の脚本がある。ひとつは、買ったばかりの『大島渚著作集〈第3巻〉』に収録されたもの、もうひとつは、『シナリオ 1979.11』に掲載された高田宏治によるものだ。これらと完成した映画本編を丹念に比較することで、大島渚だけではなく、内藤誠高田宏治の研究にも役立つだろう。
 そういえば、大島版の少年テロリスト役は三上博史だったのだ。   

大島渚著作集〈第3巻〉わが映画を解体する

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