『コミック雑誌なんかいらない!』(☆☆☆☆)

銀座シネパトス 祝!「おくりびと」 アカデミー賞外国語映画賞受賞!PINK&BLACK 滝田洋二郎監督作品特集レイトショー
(48)『コミック雑誌なんかいらない!
☆☆☆☆ 銀座シネパトス
監督/滝田洋二郎  脚本/内田裕也 高木功   出演/内田裕也 渡辺えり子 麻生祐未 原田芳雄 殿山泰司 ビートたけし
1986年 日本 カラー 124分

 『おくりびと』の外国語映画賞受賞で最も喜ばしいのは、滝田洋二郎の旧作をピンクも交えて特集上映する劇場が一般劇場、成人映画館も含めて各地で現れていることで、自分などは『病院へ行こう』から劇場で滝田滝田洋二郎を観始めた世代なので、ピンク映画時代はビデオでの後追いになっていただけに、こういう特集はありがたい。
 ちなみに、どうでも良いことだが、映芸が『おくりびと』をワーストワンに選んだ後、オスカーを獲得したのは周知の通りだが、その直後、どういうわけか自分のところにメールで、何を考えて『おくりびと』をワーストに選んだのか説明せよ、という激高した文を頂戴して閉口した。確かに映芸のベスト・ワーストには参加させて貰ったが、『おくりびと』は未見なのでベストにもワーストにも入れていない。文句は編集部なり、選んだ人に送るなら兎も角、自分に送ってくるなど筋違いも甚だしい。まあ、それぐらいは勘違いで済ませれば良いと思うが、引っかかったのは、芸術映画をいちばんに考えるようなオマエは滝田洋二郎など馬鹿にしているのだろうというようなことが書いてあったことだ。芸術映画云々は『映画芸術』という誌名が、芸術映画を優先していると思いこんだ勘違い、というよりも映芸を手に取ったことが無い人だろうから、それは構わないが、滝田洋二郎を馬鹿にしている云々には腹が立った。送り主がいつから滝田を観ているのか知らないが、自分は少なくとも『病院へ行こう』(テレビで観た『木村家の人々』でハマったのだが)から『秘密』までは滝田洋二郎の新作は初日に駆けつけていただけにまったく失礼な話だ。何せ面白いに違いないという確信があったからそうしていたので、実際『病は気から 病院へ行こう2』『僕らはみんな生きている』の頃は、自分の世代では、その蜜月期の最高潮の時期だったと思う。荒井晴彦脚本だからと期待しまくった『眠らない街 新宿鮫』や『熱帯楽園倶楽部』で肩透かしを食らい、『CAT'S EYE』目当てに行ったら併映の『シャ乱Q演歌の花道』が遥かに面白かったとか、『秘密』あたりまでは、多少の凹凸はあれども、滝田洋二郎の映画は何を置いても駆け付けようと思っていた。それがやや後退りするようになったのは『陰陽師』シリーズの凡庸っぷりに辟易させられたからで、2作とも律儀に付き合って全く面白くなかったので、もう滝田洋二郎の新作はパスしようかとすら思った。それでも気を取り直して『阿修羅城の瞳』を観たら、これが更に凡庸の極みみたいな愚作で、ここで滝田洋二郎は観なくなった。だから『バッテリー』も『おくりびと』も観ていない。それでも『おくりびと』は近日中に観なければならないようだし、『釣りキチガイ三平』も観ることになりそうなので、滝田洋二郎が復活していてくれれば嬉しいが。
 話を戻して、『コミック雑誌なんかいらない!』を劇場で観るのははじめてで、本篇自体久々に観たが、やはり異様に面白い。観返す度に面白さが増すが、テレビを主題にした作品をテレビモニターを通して観るのと、劇場で観るのでは全く違うことに改めて驚かされた。劇場で観る方が現実と虚構の裂け目を明確に感じるのは、映画館という場が虚構を目撃する為に存在してるのだから当然としても、今や『JHONEN 定の愛』で老醜をさらしている内田裕也も、この時期の出演作は全部面白いと言って良い。内田裕也が出てくるだけで良いという領域に突入しているのだから強い。殊に本作のような現実と虚構が入り混じるような作品の場合、既成の俳優では対処できない箇所が幾つも出てくるが、内田裕也の場合、内田裕也でしかないので、劇中で演じられる役があるにしても、何かが発生すると直ぐに内田裕也に戻ったり、一瞬内田裕也が顔を出したりという虚実入り混じった存在に劇の進行と共に加速度的になっていくので、それを観ているだけで飽きさせない。映画として眺めれば、もたつく箇所や、停滞する箇所は幾つもあって、既成の俳優を使っていれば(この作品の場合、内田裕也ありきなのでその仮定は無意味だが)明らかに退屈させられる箇所が、内田裕也の存在感で突破できてしまうことに感嘆する。
 それにしても、表面的に観れば内田裕也が演じる芸能レポーターなんて、活舌悪いし、突っ込まれると直ぐに返せないし、語彙もないし、普通なら成立しない。それがどうでも良くなってしまうのは“内田裕也”だからに他ならない。『餌食』あたりからの内田裕也と映画の幸福な時代の中でも、同時代性とキワモノ性を併せ持った本作の魅力は、時代と内田裕也が拮抗することができた奇跡的なバランスが成したものだろう。
 最初に観た時、これは奥崎謙三みたいなもので、誰が撮ってもある程度は面白くなるのではないかと思った。だから、滝田洋二郎の役割がどの程度作品に貢献しているか分からなかったが、今回観直して、滝田洋二郎のピンクで培ったゲリラ性と軽快さが、この作品の危うい均衡を支えているのではないかと思った。確か当初は若松孝二に監督が依頼された筈で、若松版が実現していれば全く異なる作品になっていただろうが、社会派でもキワモノでもありながら愛すべき軽快さをも湛えた本作に滝田洋二郎の存在は大きかったに違いない。