『ヤッターマン』(☆☆☆)

(68)『ヤッターマン
☆☆☆ 新宿ピカデリー
監督/三池崇史   脚本/十川誠志   出演/櫻井翔 福田沙紀 生瀬勝久 ケンドーコバヤシ 阿部サダヲ 深田恭子
2008年 日本 カラー 111分

 庵野秀明が『キューティーハニー』を撮った時に“ハニメーション”なる造語を盛んに宣伝に用いていた。実写でアニメーションのように1コマずつポーズをつけて撮影する手法を指すが、あれから5年経ってみると、そんな言葉は完全に忘れ去られている。しかし、その間の抜けたネーミングの妙に、自分は勝手に漫画・アニメーションの実写化作品や、アニメ的な手法を取り入れた作品をも拡大解釈でハニメーションと呼び、一部の友人と「今度のハニメ行くか?」という具合に使っていたのだが、今回の『ヤッターマン』などは正にハニメーションと呼ぶに相応しい。
 性懲りもなく繰り返すと言うか、『キューティーハニー』『CASSHERN』『NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』『鉄人28号』『デビルマン』といった作品全てが失敗作に終わり、興行的にも『CASSHERN』と『NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』以外は低調に終わった2004年から5年経った今年もまたハニメーションが隆盛である。『デメキング』『釣りキチ三平』『DRAGONBALL EVOLUTION』『カムイ外伝』『BALLAD(バラッド)−名もなき恋のうた−』(クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦)、『ラスト・ブラッド』(BLOOD THE LAST VAMPIRE)など次々と映画化されている。5年前の事例に限らず、更にそれ以前の70年代中盤から後半にかけての実写化が相次いだ時期の作品を観ても『ルパン三世』『火の鳥』といった見事な失敗作を観れば、漫画やアニメの実写化には手を出さない方が良いというのは明白だ。ただ、この時期に作られたそれらの作品の中で成功している数少ない例が『ドカベン』であり、それよりも劣るものの『こちら葛飾区亀有公園前派出所』といった作品を観れば、実写においても、原作の絵を極力そのまま実写に移し替えるということに徹することがまだ成功しやすいようだとも思える。『ドカベン』撮影時に鈴木則文は原作漫画を役者に見せながら同じ表情をしろと言ったというし、『こち亀』でも両津を演じる、せんだみつおは、太い眉に口をマゴマゴ動かして原作のイメージを怯むことなくそのまま移し替えていたことで観る側の違和感は軽減された。だからと言って、原作のコマ割りを再現したり、アニメーションを合成したりと原作をそのまま実写に移し替えているように見えたアニメーター出身の市川崑が映画化した『火の鳥』のように、相性が良いに違いないと思えるような作品が失敗してしまうこともあるだけに、こういった作品は難しい。
 三池崇史は『殺し屋1』の成功例や『クローズZERO』を観ても分かるが、実写化する過程において、原作をどう活かし、どう改変するかを巧く判別できる監督という思い込みがこちらにはあるが、しかし『ヤッターマン』となると、いくら何でもそう簡単にはいくまいと思っていた。
 開巻、何の前触れもなくハッチ公公園前で戦闘しているシーンから始まるという展開でその実写化の困難さの第一歩をまず退けた。余計な世界観の説明や、何故戦うのか、何故ヤッターマンになったのかといった実写化する上で下手をすれば半分以上の尺を費やしかねない説明部分を全部飛ばしてしまい、テレビアニメで言えば20分過ぎぐらいの箇所から始めてしまう。これには驚きつつも否応なく観客をこの世界に連れ込むのに有効ではないかと思った。実際、自分はリアルタイムには間に合わなかったが、再放送枠で毎日夕方でタイムボカンシリーズを観ていた世代で、『ヤッターマン』も5歳ぐらいで観ていたと思うが、その後再見する機会は無かったので随分記憶が薄れているとは言え、ギャグや設定は刷り込まれている。殊にヤッターマンが出動する際に搭乗するメカをオモッチャマのサイコロで決めるというのが幼児心には何とも楽しく、ヤッターワン、ヤッターペリカン、ヤッターアンコウの中から今日は何が出動するか、ヤッターペリカンが続いていた中に久々にヤッターワンが出動すると喜んだり、サイコロを振るのに一喜一憂していた。これらも後継機のヤッターゾウとかになると魅力が薄くなり、それと同時に作品へ夢中になって観ることもなくなっていった。
 といったような思い入れしか無いので、『ヤッターマン』を実写化するにはかくあるべしといったような思いは持ち合わせていない。だから、これだけやってくれれば上出来と言うよりも、極力忠実に移し替えるにはこうやるしかないのではないかと思った。原作にあったアレがないではなく、元々大いなるマンネリズムで毎週同じことを繰り返していただけなので、そのフォーマットを踏襲して2時間ほどの映画にするには、3本分のエピソードを繰り返し入れるしかない。だから、同じ話を繰り返しているだけと批判しても仕方ない。実写化における一つの形としては面白いと思う。ただ、ここまで忠実に実写に移し替えるなら、オープニングとエンディングも毎回つけて3本のエピソードを展開させて欲しかったとか、アイキャッチを入れるなどしても良かったのにと思う。
 櫻井翔は『ハチミツとクローバー』を観ただけでも分かるが演技は全く駄目で、口をぷくっと膨らませたり顔の表情を適当に変えるのが演技と思い込んでるような人だから、福田沙紀共々、存在感も薄い。主役がこうでは映画本篇にまで悪影響が出そうなものだが、そこは『下妻物語』の三人(深田恭子生瀬勝久阿部サダヲ)が見事に支えていたのが救いだった。
 三池らしい太ももへのフェチズム、淫語を女子に言わせる執心ぶり、ヤッターワンの出動時に掴まって乗ってるヤッターマン達の苦労ぶりを見せるなど、オリジナルから逸脱しないように注意しながらもそれらを染み込ませるあたりに笑う。
 しかし、映画としては前述したような漫画、アニメの実写化におけるモデルケース以上の面白さは感じない。むしろ、失敗していようが勘違いしていようが、実際本作よりも遥かにつまらなかったのだが『CASSHRN』の方に映画としての引っかかりを感じてしまう。