映画 吉田喜重 変貌の倫理「炎と女」

molmot2004-09-12

1)「炎と女」 (ポレポレ東中野) ☆☆☆★★ 

1967年 日本 現代映画社 カラー シネスコ 
監督/吉田喜重  出演/岡田茉莉子 木村功 小川真由美
日下武史


 「吉田喜重 変貌の倫理」が始まり、これまで観る事が叶わなかった作品が全て上映される。これは何としても通わねば、という強い意志を崩す様に「BIG-1物語 王貞治」が突如上映中止になったり、11月にBSで主要作が放送され、年明けからは全作DVD化が進むと聞かされては、やや足が遠のきかけるが、スクリーンで観ることの重要性に鑑み、やはりできるだけ通おうと思っている。基本的にビデオ化、あるいは日本映画専門チャンネルで放送されている作品はパスするので、必然的に松竹時代、現代映画社・松竹提携時代の作品ということになる。
 1本目となった「炎と女」は「情炎」と「樹氷のよろめき」の間に位置する作品で、松竹との提携で2年間に4本の作品を製作するという契約の元に製作された「女のみづうみ」「情炎」「炎と女」「樹氷のよろめき」の連作の一本となる作品だ。本来ならば、この連作を製作順に観る事によって見えてくるものがある筈だが、順不同に観ざるをえない。
 この作品で注目すべきは、脚本が田村孟と山田正弘と吉田の共同であるということで、この連作では主に創造社を退社したばかりの石堂淑朗が脚本を担当していたが、スケジュールに追われた為と、一度組みたかったという理由で、田村が担当している。しかし、東大同期というせいもあり、共同作業が成立し難いと考えた田村が共同執筆者として連れてきたのが山田正弘で、これが吉田との初対面であり、これが後に「さらば夏の光」「エロス+虐殺」「煉獄エロイカ」「告白的女優論」といったATGでの吉田の全盛期を共同脚本家として支えた関係に発展していく。
 「炎と女」を観て即座に連想したのは、この作品の前年に製作された足立正生のピンク映画「堕胎」と「避妊革命」で、当時社会的話題になっていた人工授精が共にテーマになっているのだから、単なる同時代的テーマだと言い放ってしまっても良いのかもしれないが、吉田と足立では近いようで距離を感じるにしても、間に田村孟が入ってくると俄然距離は限りなく接近する。何せ「新宿泥棒日記」でまんまと「堕胎」や「避妊革命」のモチーフを高橋鐵そのものを出してしまって、より巧みにやってのけたのだから。田村が「堕胎」と「避妊革命」を観ていたのは間違いない。
 本作の魅力は、あの主舞台になる家の造形にある。階段の斜線、円形のテーブルといった家具類の配置が繊細で実に心地良い。そして、傘を映画的躍動感に満ちた動かし方で魅了させる岡田茉莉子が会話するシーンの美しさ。鏡の絶妙な使い方の素晴らしさ。
 FIXを基調にした中で、煽りで円形を描いて捉えるカメラの動きの素晴らしさ。岡田茉莉子が木洩れ日の射す林を真っ直ぐ歩いてくるロングショットの素晴らしさ。
 人工授精によって生まれた子供の実の父親は誰か、というミステリー的趣向で展開されるが、結局実父を見つけてもラストで元の鞘に収まったのは、あの家に引かれて戻ってきたのだと思わせる。決して夫が良いというわけではない。
 非常に素晴らしい作品だと思ったがラストに向かうに連れて観念性が先立ち、流石の吉田も映像表現が追いつかなくなった嫌いがあり佳作の域に止まった感があるが、DVDが発売されたら繰り返し観たい作品である。

 因みに劇場から出てくると、狭いポレポレ東中野のドアの真正面に吉田喜重が立っており、傍らには岡田茉莉子が座っていて、些か面食らう。吉田は恐ろしく細く、生で見られたことに感動したが、岡田は見たくなかった。
 この方の20代の頃の姿は本当に美しく、個人的に時空を越えて尋常ならざる思いを抱いていると、そっと告白しても良いぐらいで、「愛人」や「流れる」ですっかり魅了され、以後岡田茉莉子が出ている作品が上映されれば、いそいそと出かけたものだ。昨年観た「あすなろ物語」も同様の理由で観に行った。だから、現在の岡田茉莉子は見たくないので、ワザワザ舞台挨拶がある時間は外すようにしていたのだが、何でも連日1回目の上映後はサインする為に来館されるそうで。しかし、やや年を食ったとは言え、「炎と女」の岡田茉莉子は美しく、芸術ポルノでもある本作を見終わった直後に扉を開けると、三國連太郎の目の下のプルプルみたいなのを付けた、肥大化した岡田茉莉子がかなりの至近距離で座っているというのは、一気に現実に引き戻されるというか冷水を浴びるような気が。とは言え、わざわざ連日この狭い劇場に足を運ばれる姿勢には感服する。