映画(TV/VIDEO/LD/DVD)「赤裸々ドキュメント」

83)「赤裸々ドキュメント」(DVD) ☆☆☆★★

2005年 日本 hmp カラー ワイド 130分 
演出構成/松江哲明    出演/天宮まなみ
赤裸々ドキュメント 天宮まなみ [DVD]
 ジャケットに監督名が載っているわけでもないのに、松江哲明の新作だということを第一に言って作品に接するのは、下品なことだと我ながら思う。とは言え、それも一つのAVとの付き合い方だと思うようにしている。そうでなければ、一貫して食わず嫌いだった『人妻』モノを借りることはなかった。「裏人妻ドキュメント」「裏人妻ドキュメント2」に収録されている松江哲明の短篇を観る為に初めて人妻モノを借りて、同時収録された他の監督の作品も面白かったので、案外面白いジャンルなんだと思った。
 AVに関しては、今や定期的に買うのは個人的趣味の企画モノぐらいのもので、それも一時期に比べれば相当減った。そもそも中学だったか高校の頃だったか初めて買ったAVが、神戸の高架下で購入した当時隆盛の極みだった同世代AV=ブルセラモノだったので、ハナからインディーズがメインみたいなところがあった。そのせいで単体モノには興味が薄く、今の人気女優も知らないヒトが多い。新作が出れば観ているのは、吉沢明歩とか中野美奈ぐらいで、本作の被写体である天宮まなみも「恋人とイクどこまでも」を以前観たぐらいで、その後松江監督の新作が天宮まなみだと言うので、もう1本観た程度だ。
 従って、天宮まなみに関してどうこうと言うものは持っていないので、逆に天宮まなみのファンは本作をどう観ているのだろうという興味がある。
 松江哲明という監督は、その作品を観るのに簡単さと困難さを併せ持つ。
 松江哲明の作品は簡単に観ることができる―例えば田舎にあるちょっとデカイレンタル店に入れば、日本映画の俊英といったコーナーには河瀬直美の「沙羅双樹」のDVDが置いてあるだろう。そこにはメイキングの「2002年の夏休み」が収録されている。ホラー系が置いてある一角に行けば「ほんとにあった!呪いのビデオ8」「ほんとにあった!呪いのビデオ special2」「ほんとにあった!呪いのビデオ9」「ほんとにあった!呪いのビデオ10」「怪奇!アンビリーバブル3」といった作品が置いてあるだろう。AVコーナーに行けば、「裏人妻ドキュメント」「裏人妻ドキュメント2」「高学歴の女たち」といった作品が置いてあるだろう。自分は未だ発見していないが、店によれば「HERMONY 大沢遥」や「2004マンスリーヌードカレンダー7」「上京物語」といった作品も置いてあるだろう。といったように、その気になれば、どこででも松江哲明の作品に接する機会は設けられている。セルDVDの購入に拘らないヒトならば「IDENTITY」を観ることができる。
 松江哲明の作品は簡単に観ることができない―例えば、デビュー作の「あんにょんキムチ」はソフト化されていない。「カラーライスの女たち」や「ハメ撮りの夜明け」「ほんとにいた!呪いのビデオ刑事」はCSで放送されたことがあるとは言え、これらもソフト化がされてはいない。従って観るには1年、2年と網をかけてどこかで上映されると聞けば駆けつけなければならない。しかもタチの悪いことに一度観てももう一度観たくなる。又、再見に耐える作品ばかりだ。実際「あんにょんキムチ」を今は亡き扇町ミュージアムスクエアで観てから5年ぶりに再見したが、16mmとビデオ上映の質感の違いもあるのだろうが、現在の方がより生っぽく感じる佳作だと思った。
 そしてそれらの困難さが続くのが良い。自分も未見の作品が多い上に未だフィルモグラフィーを掴みかねている。「HERMONY 大沢遥」「2004マンスリーヌードカレンダー7」「上京物語」「ハメ撮りの夜明け」を観ていないから、今後の楽しみというものだ。その上、有料サイトで限定公開しているものもあるので、一体どれだけあるのかと思う。
 例によって前置きが長いまま終わりそうだから駆け足で書いてしまうと、「赤裸々ドキュメント」は、「avec mon mari」や「とらばいゆ」「約三十の嘘」の監督が東宝で人気アーティストを起用して作品を作ることになりましたという図式に当て嵌めて考えてみると良い。そしてその結果が「NANA」とは正反対の完成度であると。
 「赤裸々ドキュメント」は凄い、と言うよりも面白い。単純に面白い。面白かったので尺が短いレンタル版も観たい思ったので、とりあえず一見しただけの感想メモである。
 殆ど予備知識を入れないまま観たので、観る前は「IDENTITY」以来の長編だとか、その間にハメ撮りを始めているので自ずと長編の中でも見せ方が変わってくる筈だ、とか人気絶頂にある天宮まなみを撮るという商業性の要請をどう応えるのかとか、諸々考えていたが、開巻は例によって日付が出るが、天宮まなみ自らの撮影による映像で始まる。これは恐らくカメラは通常のDVカメラで映像は見慣れたDVのノーマルな映像だ。続いて1ヵ月半前へと時制が遡り、AVではよくある監督と女優の打ち合わせ風景となる。と言っても、カメラは机に置けれてあおり気味に天宮とやり取りが捉えられ、監督の声はしても姿を見せることはない。別に何ら珍しい映像でもない。AVではよくある風景だ。「IDENTITY」でも同様の始まりだった。
 そこにテロップが乗り本作のテーマが示される。『家族旅行』がそれであり、彼女の思い出の地を巡るという構想が示され、観ている方としては嬉しくなる。当然ながら「あんにょんキムチ」や「IDENTITY」で見せたものを、更に深化させて天宮まなみでやるんだと思い、嬉しくなった。「IDENTITY」の第一部で相川ひろみと共に京都、鶴橋、尾道を訪ねた様に天宮まなみで、『擬似家族』の形態を取りながら今度は恐らく松江哲明自らが彼女の相手を務める筈で、そうなれば「IDENTITY」とは全く違う作品が生まれてくるに違いないと。ところが次のカットで彼女からの手紙が示される。そこには『家族旅行』というテーマに対しての不安が綴られている。ようは自身の家族がテーマになると仕事がやりにくいということで、どうやら親バレしていないらしいので、納得できるハナシではあるが、観ている側としては、ケッ、カンの良い奴めと思わず言いそうになるくらい、松江哲明の手中にかかると自身のプライヴェートな部分の露呈の度が過ぎると察知したのではないかと思うくらいで、これでは作品が中途半端なものになるのではないかという危惧感を持った。天宮側からは、ここならばという彼女の内面に入り過ぎないと思われる場所が提示される。やはり人気女優は使うと制限が多いのか、などと思っていた時、テロップで『僕は〜』という一人称が出てきて唐突な感じがした。ここで『僕は〜』と出てくるのは違和感が拭えなかった。それはさておき、続いて彼女の自宅での料理風景が描かれるが、これはもう松江哲明お得意のシーンだから、ひたすら巧みに捉えられる料理を作る女を楽しむことができる。伊丹十三の食=性は、こういった描写に受け継がれているのだと思う。この料理シーンからDVX-100のCINE-LIKEな映像になる。
 松江哲明の作品でDVX-100が使われたのを観るのは初めてだが、違和感なく使われていた。ドキュメンタリーにおいて、映像の装飾は可か不可かと思うときがある。リ・インの「2H」をはモノクロ、セピアと使い分けていたが、何故色の情報を減らす必要があるのかという疑問を唱えるヒトも居た。モノクロ時代ならいざ知らず、ドキュメンタリーでカラーの情報量を持っていながら敢えて減らす必要があるのかと。DVX-100のCINE-LIKEな映像は正にフィルムっぽい16mmな映像になるが、本作で興味深いのは、シーンによって又はカットによって、プログレッシブモードと通常の60iのモードに微妙に切り換わることによって視覚が受ける変化にある。
 自室シーンはCINE-LIKEで捉えられ、例によって松江哲明の空間把握能力を会話の糸口にする手法によってプレステのワザと置いたのかというぐらい見事な埃を被ったコントローラーが切り取られる。
 本作の撮影は「リアリズムの宿 」や「くりいむレモン」の近藤龍人だが、恐らくCINE-LIKEなシーンはほぼ近藤龍人が回していると思う。風景の点描が本当に素晴らしい、殊に豊田道倫のギターが入り、部屋から車窓の風景に変わる瞬間、鳥肌が立った。陽光の中の木々をあおりで捉えた素晴らしいショットや、「IDENTITY」における車窓の移動や、「くりいむレモン」の同じく車窓の移動を凌駕する泣きそうになるくらい良いシーンだった。CINE-LIKEの柔らかい調子が夏の街を捉えていた。
 観覧車に乗るシークエンスからプログレッシブモードになったと思われる。ここではカンパニー松尾の弟・松尾章人と天宮のみで、展開される。開巻の天宮のセルフカムにしてもそうだが、手放し運転してもコケないと言うか、自分でコントロールしきれない映像を取り入れることで作品を活性化させるのは、やはり面白い。
 で、この観覧車のシークエンスだが、これはもう松尾章人の巧さに尽きるというもので、それまでは前述してきた様な、『松江哲明が近藤龍人の撮影で天宮まなみを撮った新作ドキュメンタリーという』カッコで括られた視点でしか見ていなかったが、ここに来て、一揆に普通のAVを観ている感覚に戻された。これは悪いという意味ではなく、全く普通に楽しんでしまった。
 観覧車終わりでスタッフの居る所へ戻ってきた際に再びCINE-LIKEモードの映像が入るので、カラミはノーマルモードでそれ以外はCINE-LIKEなんだな、と思った。ここでまた、彼女の思い出話が入ってと思ったら、直ぐにホテルでの男優のカラミに移る。こちらも映像はノーマル気味。このカラミも普通に楽しめる。その後花火を経て、旅館に男優阿部が登場してからは、阿部色に満ちたバラエティ乗りになる。ここでのフェラシーンを観ていて、プログレッシブで撮ると生っぽさが消えて妙な違和感があるものだと思った。それは兎も角、翌朝の寝起きといい、こちらも作品のペースに呑まれてノンビリと楽しんでいた。正にAVとしての面白さに満ちていて、森の中でのカラミに至るまで、アタマの『家族旅行』とか言ってたのはどうなったんだとフト脳裏を掠めながらも、別にまあ良いやこれでも、と思うぐらい良質のAVだった。抜けないなどと理不尽なことを言われた「IDENTITY」以来のメジャーでの長編で、徹底的にAVとして楽しめるものを目指して作られていて、これで文句言う奴はいないだろうと思わせた。
 前述したような、別にまあ良いやと松江哲明は当然思っているわけではなく、中盤でたっぷり商品として見せるべきものを見せた後、映像は再びCINE-LIKEとなり、そして前半で鳥肌を立たせたように、豊田道倫の曲が入り、例の彼女の手紙が再び示され、そして『僕は〜』という一人称が再び示されるが、前半で抱いた違和感は完全に消える。何のことはない、『作品のペースに呑まれてノンビリと楽しんでいた』り、『徹底的にAVとして楽しめるものを目指して作られて』いたと思っていたものの中に、天宮まなみが手紙で示した不安や、作品のテーマである『家族旅行』『擬似家族』といったものが、全て含まれて描かれていたのである。そして、車窓の風景に魅せられつつ、西へと向かい、彼女が思い入れのあるとある街にやって来る。ここで街を徘徊しながら見せる彼女の表情が素晴らしい。CINE-LIKEの現実感を喪失された映像の中で天宮まなみが実に良い表情を見せる。彼女は語尾で必ず笑うが、何かを耐えているような印象があり、入り込めなかったが、ここでの彼女は『擬似家族』に見せる表情をしていたのではないか。
 そして、ラストは当然ながらラブホでの松江哲明天宮まなみのセックスとなるわけだが、これ以上は書かない。驚愕の出来事が起きるとだけ書いておくが、あまりにも予想外の展開に爆笑し、そして妙な感動すら覚えた。天宮まなみのファンはどう思うのか知らないが、松江哲明は完全に自らを主役にすり替えた。そして、その出来事を通じて天宮が見せる優しさが感動的で、これまで見せなかった表情が現れる。まさかそれを見越して敢えて、こういった事態を引き起こしたのではあるまいかとすら思いかねない展開だが、「あんにょんキムチ」での妹の部屋でのシークエンスが想起されるのは言うまでも無い。
 元来欲張りなので、様々な要素が組み込まれている多重構造の作品は好きだが、この作品はAVとしても質が高く、普遍性を持って楽しめる上に、ドキュメンタリーとしての凄さにも満ちていて、それを巧妙な構成で見せていく手腕にすっかり魅了された。観終わって直ぐにオもう一度観返したいと思ったのは、構成もそうだが、近藤龍人による様々な画を観返したい思いもあったからで、レンタル版共々近く再見したい。