映画 「東京から遠くはなれて」「しがらみ学園」「逃走前夜」

「黒沢清の映画術」(新潮社)発刊記念 KIYOSHI KUROSAWA EARLY DAYS (アテネ・フランセ文化センター)

 『明日はどうなることやら気が重い。』と書いたら、本当に気の重い事態が発生してしまった。あまりにも客が入りすぎて老朽化したアテネ・フランセの床が抜けて大量の死傷者を出したのだ。と言うのは嘘だが、そうなるんじゃないかと危惧しそうになる程の客が詰め掛け、篠崎誠や中原昌也も来ていたので、これで皆一気に死ねば、桂千穂系のヒトにとっての仮想敵である、映画の敵な監督と批評家と作家と観客が死んで清々するのではないか(因みに自分は脚本家としての桂千穂は尊敬している)、などと妄想しそうになるのも、“たかが”8mm自主映画を観るのにエライ苦労をクソ暑い中したせいで‥
 コトはこういうことだ。自分は初回は都合が合わなかったのでパスし、合間のトークショーと二回目の上映を観るつもりでいた。チラシ等では、この合間のトークショーがどちらの回に属するか微妙な書き方をしていたものの、恐らく1回目の上映が終われば客を出して並ばせ、入れ替えをし、トーク終了後にまた入れ替えをするんだろうと予想していた。それならば、1回目の上映が始まって間もなくに着けるから、トークは座って見れるかなと。それが無理でもトークだけなら立ち見で良いやと。ところが舐めていたことが明らかとなる。1回目の上映にとんでもなく客が入っている上、トーク時に入れ替えを行わないので、入場は無理であろうという。ここで流石アテネフランセだと感心したのは、入れない観客に即紙を配布して、ゲスト三人の許可を取ったのでトークショーを撮影しておくから、本日の二回目の上映終了後に上映するという。やはりこういう突発的な大量の観客が押し寄せた場合の対処に慣れているなあと。某館みたいに、パニクって観客に失礼この上ない対応をするところだってあるのだ。入りそびれたので、そのうち「NOBODY」あたりに載るかな、などと思って諦めかけていただけに、対応の素早さに驚き、喜ぶ。
 御蔭で二回目の上映はかなり空いていたので、見易い席でトークもノーカットで見ることが出来たし、案外初回に無茶なヒトの多さの中で必死で見るより良かったかな、と。


■Bプログラム

189)「東京から遠くはなれて」 (アテネ・フランセ文化センター) ☆☆☆★

1978年 日本 パロディアス・ユニティ カラー スタンダード 35分
監督/田山秀之    脚本/    出演/田邦敏 黒沢清

190)「しがらみ学園」 (アテネ・フランセ文化センター) ☆☆☆★

1980年 日本 パロディアス・ユニティ カラー スタンダード 63分
監督/黒沢清    脚本/黒沢清    出演/森達也 久保田美佳 鈴木良紀 浅野秀二 笠原幸一 氷山愛子 黒沢清

191)「逃走前夜」 (アテネ・フランセ文化センター) ☆☆☆

1982年 日本 パロディアス・アーミー カラー スタンダード 8分
監督/万田邦敏 黒沢清    脚本/万田邦敏 黒沢清    出演/浅野秀二 塩田明彦 久保田祥子 平野和重


トークプログラム  出席:蓮實重彦×青山真治×黒沢清

 「黒沢清の映画術」で、あのヒトのパートが話題になっているのは誠にケッコーなハナシで、あのヒトに拘り続けてきたので、愈々再評価の機運が高まるのではないかと期待している。今回のトークでも話題が出るか否かと思っていたら、青山真治が控えめに“名前を言ってしまいましょう”と言って、“亡くなった伊丹十三さん”と口にしたので、一瞬おおっ、と思うも黒沢清蓮實重彦は無表情のままで、その後その話題が続くことはなかったが、青山真治がそこでその名前を口にしたのは、当然「黒沢清の映画術」を踏まえた上なのは明らかだが、一観客として、パルコ劇場での「ドレミファ娘の血は騒ぐ」公開初日に劇場ロビーに立つ、伊丹十三蓮實重彦黒沢清の姿を目撃した強烈な記憶について語ったものだった。かつて「ユリイカ 特集・黒沢清」で青山が『「ドレミファ」公開の歓喜に居合わせなかった者は、自分が黒沢を「発見」する機会は未来永劫訪れないと肝に銘ずるべき』と書いていたことも併せて、伊丹十三蓮實重彦黒沢清が並ぶ映画史の最も幸福な局面だったのではないか、などと思う。と、此処に来てフト疑問が浮かぶのは、映画史を横軸で見てみると、「ドレミファ娘の血は騒ぐ」の公開は1985年11月3日で、その年の夏にPFFでプレミア上映されている。青山真治もどちらで観たか記憶がはっきりしないようだが、ではその日、つまりは伊丹十三蓮實重彦黒沢清が立ち並んでいた日の記憶を「ドレミファ娘の血は騒ぐ」の主演女優はどう覚えているのか。コチラ参照。
 洞口依子はこう書いている。『忘れもしないパルコ劇場での上映初日。蓮實重彦氏と伊丹十三氏にこんな言葉をかけられたのを今でも覚えている。「スター誕生ですね!」アタシの体が一瞬現実からふわっと宙に浮いたような感覚だった。』
 この作品は公開が揉めたせいで遅れたこともあるのだが、公開時には伊丹十三は既に映画監督として活動していた。公開日の1985年11月3日と言えば、もう「お葬式」が公開された後だし、「タンポポ」が同月下旬に公開される直前だった。
 ここで、伊丹十三研究の一環として興味深いのは、伊丹十三蓮實重彦の関係についてで、蓮實重彦は97年の日本映画を総括するインタビューを「映画芸術」で受けた際(「帰ってきた映画狂人」所収)、伊丹十三の自殺について問われて、伊丹映画を全否定した上で、「お葬式」の試写終了後に伊丹からどうかと聞かれ、最低ですと返したのが会った最後と語っていたが、そうではなく、その後も「ドレミファ娘の血は騒ぐ」の公開初日に顔を合わせているわけだ。映画史を個々の縦軸ばかりで見ていたせいで「ドレミファ娘の血は騒ぐ」の公開が「お葬式」より後で尚且つ「タンポポ」公開直前だったということを見落としていた。因みに「タンポポ」には、役所広司洞口依子など黒沢清へリンクする名前も登場するが、洞口依子を「タンポポ」で印象的に起用したことなども蓮實重彦への目配せとして考えて良い。
 ハナシがトークプログラム から逸れたが、そちらは蓮實重彦の相変わらずな突然何を言い出すかと驚く突拍子のなさに満ちていて良かった。殊に蓮實重彦×青山真治×黒沢清の三人を、某にソクーロフ三部作だと言われたと言い出したのは笑ったが、黒沢がレーニンで、青山がヒトラー、蓮實がチョコレートおしまいのヒト、だそうである。
 ソクーロフ、三部作という名を出してきたのは当然今日が「太陽」の公開初日ということへの目配せなのだろうが、更に本日蓮實重彦は、アテネに来る前にシャンテシネで『BOW30映画祭 トークイベント(「映画史特別編 選ばれた瞬間」上映)』を行っているので、唐突に「勝手にしやがれ」全6作の“選ばれた瞬間”を繋いだ特別篇を作れと言い出したのにも納得できたが、黒沢曰く、何でも以前偶々会った際に、いきなり「勝手にしやがれ特別編 選ばれた瞬間」を作れと言われて、とても驚いたそうで、そりゃ驚くわなと。
 ま、聴くヒトによっては互いに世界的作家と言い合っているようなトークなので、辟易するムキもあろうが、ビデオ上映とは言え、ガラガラの場内でノンビリ見れたので、楽しめた。