映画 「男はソレを我慢できない」

molmot2006-08-09

193)「男はソレを我慢できない」 (シネアミューズ) ☆★★★

2006年 日本 シモキタ・シネマ・プロジェクト カラー ビスタ 91分
監督/信藤三雄    脚本/大宮エリー    出演/竹中直人 鈴木京香 小池栄子 ベンガル 清水ミチコ 高橋幸宏 高橋克実 温水洋一 大森南朋 斉木しげる 安齋肇 野宮真貴 岸野雄一 小島麻由美 中村達也

 
 もう、何にも言うことがない。脱力した。普段はシクジッタと思ったら口直しにハシゴするなり飲んで帰るのだが、その気力すら起きず、本来この後「神の左手 悪魔の右手」を観ようと思っていたが、つまらない映画に千円日だからと言って付き合うことの不毛さに初めて嫌気が差し、早々に帰る。気候のせいなのか、あまりに不出来過ぎたのか、ここまで落ち込んだことも珍しい。 傲慢に言ってしまえば、傑作かそうじゃないかなんて、ある程度観ていれば、事前情報とカンで大体判別がつく。しかし、そんな厳選して当たりしか観ないなんてのは、ちっとも面白いとは思わず、傑作もあれば、佳作も、又は失敗作だが一部に凄い箇所があったり、駄目だけれども魅力があったり、思わぬ拾い物があったり、話題作やヒットしているからという理由で観るのも映画の面白さだと思うし、第一、駄目だと分かっていて観に行くことなど殆ど無く、未だに上映が始まる前はソワソワする性分なので、全部に傑作を求めたりはしないが、料金に見合うプロの技術なり、魅力ある箇所があれば良いなと思っている。
 以前、どこのサイトだったか、当ブログを差して、ココはPV&CM監督の作品は全て否定するから駄目だと書かれていて、言われることは別に構わないのだが、PV&CM監督だから駄目なのではなくて、個別に観た上で、偶々PV&CM監督の作品が圧倒的に不出来だったからというだけのハナシで総論的に決め付けたわけではない。ただ、あまりにも悉くハズレていくので、敢えてこういった監督の作品は駄目だと決め付けたい的なことは言ったが。それでも中島哲也や、作品によっては市川準など、優れた監督も居るのだから、アンタ本当に「茶の味」やら「乱歩地獄」やら「CASSHERN」「SURVIVE STYLE5+「好きだ、」等々を観て絶望的にならなかったのかと。個人的には、助監督歴十何年の監督がデビューして、観たら古めかしいスタイル過ぎて閉口したり現代性とは無縁の中でカビの生えたような映画を見せられるより、PV&CM出身監督の方が遥かに期待しているし、やろうとしていることにも興味が持てる。但し、それを実際に映画にした段階で、こちらの期待とは大きく外れたとんでもない箇所に行ってしまうのが最大の問題なのだが。
 信藤三雄の作品は、PVで初めて意識して、その後「代官山物語」も観ていたし、「男女7人蕎麦物語」はDVDを買っている。それは小西プロデュースだからと言う理由ではなく、あのCD付DVDにはもう一本「ちりぬるを」というPVが付いていて、監督が市川崑で出演が石坂浩二緒川たまきというとんでもないPVだったからだ。
 「代官山物語」と「男女7人蕎麦物語」を観ていれば、「男はソレを我慢できない」にある程度予想は付くのだが、しかし、これは酷いなあと。
 『笑』をベースに持ってくる作品は、本作をはじめ石井克人など好む方が多いが、何故そんな困難な道を選ぶのかと思う。ライブの笑いと、テレビを通した笑いと、映画館での笑いが異なるものなのに、留意が払われていないことが多いのがいつも疑問に思う。そりゃアンタが関西出身者特有の、自分は笑いを分かっているんだぞという傲慢な態度を取ってこういった笑いに理解を示さないからだ、と友人に言われたこともあったが、笑いの難しさを感じるだけに分かっているなどと思ったことはなく、笑いはいつまでも分からないのが正直なところで、それだけにこういう無防備に内輪受けをそのまま画面に出してしまって劇場でかかった際にどう観客に笑が届くかを何にも考えていないような作品には腹が立つ。
 観始めて直ぐに、大きな間違いが起こっていると気付いて困った。どうもテレビで深夜に30分か1時間で流すべき作品が、何かの間違いで劇場にかかってしまっている。何故こんな間違いが起こったのだろうと。
 典型的なサブカル映画だが、95年前後に公開されていれば喜んでいたかなあと。ベンガル高橋幸宏斉木しげる安齋肇野宮真貴岸野雄一小島麻由美中村達也テイ・トウワといった記号だけで、17ぐらいの頃なら楽しんでいたかもしれないなと。主題歌は『今夜はブギーバック』のカヴァーだし。
 これを現在においてやられて喜ぶ層というのがどれぐらい居るのかどうか。そりゃ、レディジェーンで小島麻由美が唄う横に野宮真貴が居たりすると、昔の俺は喜ぶだろうなと思ったりしつつ今でも惹かれるのだが。
 作品のベースはモロに「男はつらいよ」から持ってきて、そこにレディジェーンを売っ払ってソープランド建設計画を住民達が反対するというのが一応作品の根幹になっているのだが、信藤三雄ならば人情劇の泥臭い部分を映像的に逃げて、巧く脚本で重喜劇の要素を森崎東的な取り込み方をすれば、ひょっとしてという期待を僅かに持っていたものの、そんなものは微塵も無かった。派手に映像で遊ぶのは勝手だが、何も複雑なストーリーを求めているわけではないのだから、せめて根幹のハナシだけでも常時映像に付随する形で敷いておかないと、支離滅裂なただの映像遊戯に終止するだけに、91分が果てしなく長く感じ、拷問のようだった。
 主人公のタイガーが、団子屋に戻ってくるところから始まるが、ここで一見して侘しくなるのが、店がセットではないので引き尻がない。だからアングルがかなり限定されてしまい、更に随分な長回しになってしまう。しかし、どうもホンがそれにはとても耐えられそうにない上、演出もそれに相応しくなされているようには感じられず、各役者に依存した上で、本作の特徴と言える、音声をmixする手法を駆使して、特定の1フレーズを何度もリピートさせたり、映像をそれに合わせて加工したりしていて、更に「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」を遥かに上回るフキダシを使った科白に合わせた文字出しが異様に多く、これらの手法はそれなりに興味深く観てはいたが、結局鬱陶しいだけで、いらんだろうと。全篇に渡って末期の伊丹映画並にクドくて観ていて疲弊した。大体こういった手法が尺延ばし以上の効果を持っていたとは思えなかった。
 ホストの紹介を五人もやるので単調極まりなかったり、歌うのは勝手にやりゃ良いが、フルで歌うのは勘弁してくれとか、終盤の歌合戦で、もう完全にどうでも良くなったとか、劇場で金盗って見せるものではない。
 結局今更ながら小池栄子の乳しか見るところがないという凄い作品だった。
 最低。