映画監督・向井寛死去

 書くのが遅れたが、向井寛監督が肝不全で9日亡くなったとのこと。70歳。
 報道では近年の一般映画『GOING WEST 西へ・・・ 』や『Last Dance −離婚式− 』『同窓會』といったタイトルしか挙げられていないが、向井寛と言えばやはりピンク映画の巨匠だ。しかし、130本を超えるピンク映画の大半は観ることが出来ないし、自分が手元にある向井作品を引っ張り出してみても、『近世毒婦伝 少女地獄責め』『ブルーフィルムの女』『淫紋』『肉布団』『日本密姦拷問史』ぐらしかないので、これでは向井寛の片鱗を僅かに伺えるだけだろう。
 最近、向井寛のことを思うことが二つほど続け様にあった。ひとつは村井実の『はだかの夢年代記 ぼくのピンク映画史』を読んでいたからで、向井寛についてかなりの分量が割かれていた。
 そこに書かれていたことを参照すれば、向井寛は<1937年、大連生まれ。九州大学を中退後、教育映画の俳優となって、テレビ映画で三田佳子と共演したこともあったが、助監督に転向し、野村浩将今井正佐伯清らの監督につくかたわら、児童教育映画を演出して、PR映画、記録映画、テレビCMなどを撮りつづけたあと、『肉』でピンク映画の世界に登場した。そのとき27歳だった。>
 『肉』の主演は<少し前まで「ネグリジェ歌手」>で売っていた内田高子。その後もコンビ作は続き、やがて結婚した(結婚はすんなりとは行かなかったようだが)。
 フィルモグラフィーが凄いだけに、気になる作品もたくさんある。例えば<デビ夫人と津川雅彦の不倫の恋が話題になるや>制作したという『日本処女暗黒史』や、杉山吉良が撮影したモデル太田八重子が自殺する事件(「奥様、ご迷惑をかけました」 という遺書が有名なやつですな)が起きるや『あるモデルの性と死・薔薇の賛歌』を撮るも、杉山が会見して不快感を表明しても、ヤマハホールで試写会を開いて話題を集めたりしたとか。それから、稲垣浩と共同監修した『噫!活動大写真』という作品があるらしいのだが、詳細が分からない。
 又、海外に売れたピンク映画と言えば若松孝二の『金瓶梅』が有名だが、他にも多かったようで、向井寛も『禁じられたテクニック』を『ナオミ』というタイトルでヨーロッパに売ったりしている。ただし、『ナオミ』はローマ警察局に上映禁止処分を受けたようだが。それでも他に『餌』『続・情事の履歴書』などはヨーロッパ各国で売れたらしい。ちなみに『ナオミ』こと『禁じられたテクニック』は、村井実の勧めもあって、<ローマ凱旋上映会>を早稲田大学の大隈講堂で行ったところ満員の大盛況だったという。観客の半数は女子大生だったというから、ちょっと学校の講義でピンク映画やロマンポルノを使ったぐらいでゴチャゴチャ言う現在の方がおかしい。
 ここで、向井寛のことを最近思っていた二つ目の出来事に結びつく。前述のデビュー作『肉』が何故か海外でDVD化されたのだ。それも上記の内容を知ると納得できる。自分は早速取り寄せたのだが、残念ながら音声は英語に吹き替えられており、オリジナル音声は収録されていなかった。それでも国内ではビデオ化すらされていないので、映像を観るだけでも価値があり、後日この作品については書きたい。


 参考:向井寛監督作『ブルーフィルムの女』(1969年) 感想

はだかの夢年代記―ぼくのピンク映画史

はだかの夢年代記―ぼくのピンク映画史