神戸国際松竹で、日向寺太郎火垂るの墓』(☆☆☆★)を観る。
 関東は岩波ホールのみの上映で、大入りとのことだが、関西では梅田、三宮、その他シネコンでもかかっている。兵庫県でロケした地元の物語ということもあるのだろう。上映館が多いので岩波ホールで観るより見易いであろうと、こっちに居る間にと行ってみたが、神戸国際松竹は昼間に二回上映するのみだからか盛況だった。原作の舞台からすればモロに地元ということになる。年配客が多く、上映前から何やら盛り上がっている。「松田聖子が出てるて、何の役やろ。途中で歌でも唄うんやろか?」と浮かれている隣席のオバハンに、(そんなわけないやろ!)と秘かに突っ込みを入れる。結局オバハン、始まって10分で寝入っていた。節子が死んでる最中、反対隣の席のオッサンが派手に携帯鳴らして出たりと、随分とゆるゆるである。岩波ホールで観れば格調高く扱われる作品だって、街の普通の映画館で観ればこんなもんよ。
 ちなみに神戸国際松竹は震災で崩壊したので建て直しになった神戸国際会館に入っていた劇場で、自分が震災の起こる二日前にここで観た映画が、『今、そこにある危機』だった。ちなみに同日に観た『酔拳2』を観た神戸新聞会館も震災で全壊。ようやく近年同じ場所にミント神戸が建ち、映画館が再び戻った。

 本作は、パル企画岩波ホール黒木和雄戦争映画シリーズとして企画されていた作品だという。ただ、亡くなった際の証言などを読むと、果たしてどの程度具体化していたのかは疑問で、『美しい夏 キリシマ』以降の『父と暮らせば』『紙屋悦子の青春』といった連作は、演劇化されていた作品を原作に、ほぼそのまま舞台から映画に移し替えるといった手法が取られていたので、あれだけ早く映画化できたといった面もあったように思う。本作の場合は、アニメーションの印象も強く、原作も様々な脚色の可能性を持つ作りであることや、未見だが近年実写テレビドラマ化されたこともあり、果たして黒木和雄が脚色に時間の食いそうな本作を、次回作に選んでいただろうか、という思いがある。戦争シリーズと離れた『スリ』以降の現代劇、あるいは時代劇を観たかったという思いもあるし、原田芳雄によれば別の企画を進めようとしていた様子も伺える。ただ、パル企画岩波ホール黒木和雄戦争映画シリーズという枠組みが最も映画化が迅速に行わる場であったことは確かだろう。長らく映画化が企画されながら、とうとう果たされなかった山中貞雄を主人公にした作品などが後回しになってしまった面もあったのではないかと思う。
 昨年の5月29日、フィルムセンターで黒木和雄の追悼特集が行われていた。その日は『ぼくのいる街』『TOMORROW/明日』の上映後、日向寺太郎のトークがあった。その席で今夏クランクインするとして本作の企画が公にされた。黒木和雄の元に来ていた企画を引き継ぐ形で、と日向寺は言ったと記憶する。

 撮影を地元で行っていたせいか、何かと事前に噂は聞いていたものの、完成した作品に接すると、黒木和雄の、というよりも『誰がために』の日向寺太郎の監督第二作として成立していることに好感を持った。一般の観客は高畑勲の傑作アニメーションの印象を抱いて劇場に来るし、映画ファンは黒木和雄の企画を引き継いだという印象を持って観に来るだろう。実際、黒木和雄追悼映画という側面が長門裕之原田芳雄がそれぞれ町会長を演じているところや(つづく)



 パンフレット購入。700円。岩波ホールのおなじみのパンフを普通の映画館で買うと不思議な気分となる。
 フォーマットはいつもの岩波ホール仕様なので、とやかく言っても仕方ないとは言え、脚本家・西岡琢也への無視っぷりが気になる。何せ解説部分では、黒木と日向寺、黒木組スタッフ、出演者についてしか書いていない。西岡琢也については一言も触れていないのだ。クレジットは共同でも何でもなく西岡琢也単独クレジットなのだから、この扱いは意図的と言うか、岩波ホール的な作家主義の悪弊と言うべきか。実際、幾人もの執筆者の中で、西岡琢也に触れているのは監督のみで、他は誰一人触れていない。あの西岡琢也だよ、と。関西人の嫌らしい部分をシナリオ化できたのは確実に西岡琢也の功績の筈だ。それがこの扱いとはどういうことか。シナリオが掲載されているが、<脚本 西岡琢也>の下に<このシナリオは、西岡琢也氏が執筆した決定稿をもとに日向寺監督が撮影のために手を入れたものです。完成した映画は、編集により、このシナリオとも異なっています。>という注意書きが書いてある。つまり、西岡琢也の決定稿より、そこに手を入れた監督稿の方が重要であると判断しているわけだ。完成した作品からシナリオ採録せずに、完成した作品と食い違っていようとも、西岡琢也ではなく、あくまでも日向寺太郎の作品として印象づけようとしている意図を感じる。勿論、日向寺監督自身は、そんな意図は全くないと思うが、岩波ホール側の脚本家軽視、蔑視を感じるのは私だけだろうか。



 三宮ジュンク堂で、『キネマ旬報 2008年9月上旬号』『Cut No.234』『知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 2008年8・9月号』を購入。
 キネ旬、『崖の上のポニョ』評が森卓也先生だったので喜ぶ。<宮崎駿は「『人魚姫』の翻案」と述べているが、私は東映動画の第一作「白蛇伝」(58)を連想した。>という冒頭の一文から目から鱗が落ちる。短評だが、誰もがいろんなことを言うポニョを語るには、やはり森卓也先生からの軽い一言が限りなく重い。フジモトの存在が不透明であることへの批判も入れつつ、<柳原可奈子みたいなポニョ>と軽く書いてしまうのに笑う。個人的な話をするが、某原稿で某喜劇俳優の若き日の軽快さが如何に優れているかを、現在のお笑い芸人の具体名を例に挙げて書こうかと思ったが、あまりにも軽薄かと思って止めた。しかし、森卓也先生の愛すべき軽薄さを読むと書いておけば良かったと思う。
文末では、ラストカットのアイリス・アウトにちゃんと触れているのも流石。
 巻末掲載の、久々にキネ旬登場・磯田勉氏の『60’s東宝映画の愉しみ方』と共に、かつてのキネ旬では、こういった人や文に映画を教えられたことを思い出した。

 昔から気に入った特集がある時だけ購入していた『Cut』も長らく買ってしなかったが、今回は宮崎駿の4万字インタビューが掲載されているので購入。インタビュアーは当然渋谷陽一。『ゲド戦記』についてや息子については触れられていなかったが、『ハウルの動く城』については、興味深い言葉があった。細田守の監督で進んでいた『ハウルの動く城』が監督降板、製作凍結によって、宮崎駿の監督作として再始動したことを踏まえて、以下引用。
<僕があの原作を選んで、別の演出家がやってる途中で投げ出したから自分でやることになったんですけど。やらなくてもよかったわけですけど、ダメだったからって選んだのに引っ込めるっていうのもヤじゃないですか、さんざんお金遣ってね。そういうことでやった作品は、他にもありますからね。あと選んだのが間違いだったのかっていうと間違いじゃないはずだ、とかね(笑)。企画を提案するっていうのは、どうしてもそういうことがつきまとうんですよ。自分がやる気がなくても若い人間だったら、もっと大らかな恋愛ものにできるんじゃないかっていう目論見があったんですけど、若い人のほうがダメなのかもしれませんね。それはわかりません>

 『知るを楽しむ 私のこだわり人物伝』は、9月が伊丹十三なので購入。
 どうも『天皇の世紀』も少し流しそうな雰囲気だ。

キネマ旬報 2008年 9/1号 [雑誌]

キネマ旬報 2008年 9/1号 [雑誌]

Cut (カット) 2008年 09月号 [雑誌]

Cut (カット) 2008年 09月号 [雑誌]