『狂わせたいの』(☆☆)/『青春トルコ日記 処女すべり』(☆☆☆★★)/『20世紀少年』(☆☆☆)

 シネマヴェーラ渋谷の恒例「妄執異形の人々III」へ。『狂わせたいの』(☆☆)と『青春トルコ日記 処女すべり』(☆☆☆★★)を観る。
 石橋義正狂わせたいの』(☆☆)は公開時以来か。印象は変わらず。あの頃は、とんでもない観たことのない作品が観れるんじゃないかと物凄く胸ふくらませて劇場へ行っていたなと。何せまだ10代だから。『京極真珠』とか、京都に勢いがあった。

狂わせたいの [DVD]

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 野田幸男青春トルコ日記 処女すべり』(☆☆☆★★)は、今回の目玉となるニュープリント。どうせニュープリント焼くなら『セックスドキュメント 性倒錯の世界』か、深尾道則方面が良いと思っていたが、シネマヴェーラのトルコ方面の映画をニュープリントで焼いておきましょうという方針(?)は、確かに後年意味を持つかもとは思う。よくよく考えてみれば、16歳の娘がソープテクを延々見せる映画を弁護士がやってる映画館でニュープリント焼いて上映しているというのも物凄いことだが。やはり、この映画館は守らなければならない。
 予備知識もなく観始めたが、こういう作品が平然と作られてしまうところが撮影所システムの凄いところだと思う。本来なら、破綻して映画の体を成さないような無茶な展開になる筈が、成立してしまうことに驚く。殊にラストの1巻なんて、レンズを外して画面を歪ませたままで全部やってしまうなんて無茶苦茶だ。それでも東映東撮のオープンセットがあるので、街中で車はぶつかり、横転、炎上し、岡田奈津子は車から這い出てきてとんでもない行動に出るわで、呆然とさせられた。
 開巻の『情事の履歴書』みたいな展開の、工員がやられてトルコ嬢へと堕ちるまでを佐川満男の猥歌で繋いでいくのには驚嘆させられた。何でも当初は全編歌で紡いでいく野心的すぎる企画だったとか。一方、荒木ミミと佐藤蛾次郎、前野霜一郎の三人組のエピソードの本編からの離れ具合も凄いのだが、それが前述のラストで再び接合されることの驚きやら、傑作でも何でもないが、心地良い歪さが全篇を覆い、形容し難い魅力となっている。
 それにしても山川レイカの演技が凄い。16歳でこの憮然とした表情は何だ。『竜馬暗殺』のDVDの特典に収録された特報で、伝説的に聞いていた中川梨絵は代役だったという話を実証する映像を観ることができた。そこに映し出されていたのは、中川梨絵ではなく、山川れいかだった。本作を観た後では、『竜馬暗殺』は中川梨絵で本当に良かったということになるのだが。

 山川レイカと『青春トルコ日記 処女すべり』については、id:migimeさんの
山川レイカはタージマハールカを超えたか否か
『青春トルコ日記 処女すべり』極私的メモ
が素晴らしいので、そちらを参照すれば全て理解できる。



 読売ホールで、堤幸彦20世紀少年』(☆☆☆)を観る。
 『PULUTO』は欠かさず読んでいるが、『20世紀少年』は早々に挫折して読まなくなったので、原作に愛着も何もないまま観たが、最大公約数の観客に可もなく不可もなくと思わせる原作のダイジェスト映画にはなっている。
 まぎれもない映画の時の堤幸彦なので、一瞬たりとも映画だと思わせる瞬間は一度も訪れることもなく、手に汗握ることもなく、こちらはただ漫然と眺めていただけだが、資本側はそれで良いと言うのだろう。別に秀作にしてもらう必要もない、極端な駄作でも構わないが、可もなく不可もなくというぐらいの中庸な出来がいちばん良いんだ、というぐらいに思っているのだろう。実際、上映が終わり、自分が不機嫌な顔で席を立とうとしたら、前の席の人たちは「凄い良かった!!」と大きな声で言っていたので、可もなく不可もない映画の効用を実感した。
 テレビでやった方が良いような内容だが、基本的に自分はテロ映画と特撮映画には過大評価する部分が常にあるので、国会議事堂爆破とか、巨大ロボットが出てくるだけで出来はどうあれ甘くなるきらいがある。
 この作品で異様な存在だったのはARATAだ。ARATAだけ、どうも脚本を生真面目に読んだようで、竹中直人石橋蓮司も、メジャー映画用の大味な芝居をしているのだが、ARATAだけ、テロリストの役ならこないだもやったぜと言わんばかりに、その延長みたいな芝居をするのだ。つまりは若松プロにおける吉沢健のような顔つきで、刺しに行くのだから、観ていて異様だった。