『童貞。をプロデュース』

232)『童貞。をプロデュース』  (池袋シネマ・ロサ) ☆☆☆★★★

2006-2007年 日本 チップトップ  カラー スタンダード 85分
構成・編集・プロデュース/松江哲明    出演/加賀賢三 梅澤嘉朗 カンパニー松尾

本編1 「童貞。をプロデュース」 
インターミッション 「穴奴隷」
本編2 「童貞。をプロデュース2 ビューティフル・ドリーマー


 2006年の「第1回ガンダーラ映画祭」で上映された『童貞。をプロデュース』(以降一部)と、2007年の「第2回ガンダーラ映画祭」で上映された『童貞。をプロデュース2 ビューティフル・ドリーマー』(以降二部)を1本化して『童貞。をプロデュース』として劇場公開されたのが本作である。ガンダーラ映画祭上映版とは、インターミッションに峯田和伸が『穴奴隷』を唄うシーンが追加され、二部は約10分追加されての上映となる。ちなみに予告編で表記されている『EPISODE-1 俺は、君のためにこそ死ににいく』『EPISODE-2 ビューティフル・ドリーマー』というサブタイトル方式は本編映像では一切使用されていない。タイトル表示はガンダーラ上映時と同様である(終盤は今回の上映用に変更が加わっている)。

 それにしても、いくら山下敦弘がゲストで来るとは言え、月曜のレイトショーではそう混まないだろうと踏んでいた。何せ170席のシネマ・ロサである。しかし、30分前に着くと、既に劇場の外まで長蛇の列が出来ており、本当に『童貞。をプロデュース』を観に来た客なのかと思ったほどで、年齢層も幅広い。ほどなく開場して入ったものの、9割がた埋まる盛況で、本当にヒットしてるんだなと実感した。
 1作目を3度、2作目を2度観ている者としては、確認作業的意味合いが大きいと思っていた。ようは、インターミッション部分と、2作目がロング版になっているので、そこを確認する為にのみ足を運んだと言っても良い。尚、1作目を観た際(3回目)の感想はコチラ、2作目を観た際(1回目)の感想はコチラ
 ところが、本編が始まるや、繰り返し観ていたにも係わらず、グイグイと引き込まれていった。その理由の一つには、画面の大きさがあると思う。実に迫力を増している。最初は、既に大分席が埋まっていたので最後列に座っていたのだが、知り合いが来ていたので、前から3列目に移ったのだが、これが正解だった。これまで、ラ・カメラ、ロフトプラスワンシネマアートン下北沢で観てきたが、シネマ・ロサのスクリーンの大きさは比較にならない。だから、これから観るヒトは是非、前方を狙って欲しい。大画面の鑑賞に堪えうる、むしろ大画面に相応しい作品に仕上がっていることが確認できると思う。
 もう一つ、二部作を連続で鑑賞することで見えて来たものがあった。別々に上映された2本の作品を1本化して上映する場合、監督によっては再編集を施すというヒトもいるだろう。しかし、松江哲明は基本的に再編集を繰り返すタイプの監督ではない。せいぜい便宜上、『2002年の夏休み』をTV放送用とDVD収録用に2バージョン作ったり、AV『Identity』を劇場上映用に短縮したり、『赤裸々ドキュメント・天宮まなみ』をセル用とレンタル用で短縮したりといった出し皿を踏まえた形での再編集しかしないので、いつまでも何度も作り直したり、ディレクターズ・カットを出すといった傾向は今のところ見られない。だから、『セキ☆ララ』のDVDでも未公開シーンは個別に見せるだけで本編に組み込もうとはしていない。先日の特集上映でも、カラミの箇所を劇場公開用に短縮しただけで、抜本的な再編集は行っていない。本作も、1作目はエンドクレジットも含めてそのままの形で上映されており、今回の上映用に手を加えた形跡は見られない。しかし、逆にそのことを危惧していた。と言うのも、夫々個別の作品として完結しているだけに、手を加えずに連続上映した場合、1本1本が終息系に流れてしまい、85分という上映時間の流れが分断されて単なる2本立てにしかならないのではないかと思ったからだ。しかし、観るとそうはなっていない。思えば『Identity』(『セキ☆ララ』)の二部構成も、一部の相川ひろみパートの後に杏奈が出てくると、はじめは、あの濃密で感動的な相川ほどの深みを杏奈は持っているとは思えず、しかも中華街に行く程度では、どうということもないのではと思うのだが、花岡じったに焦点が当てられ、杏奈がその受け役として実に巧く機能しており、一部と二部で全く別の面白さを、繋がりもダレることなく感じることができた。その実績を考えると、巧くいっていても不思議ではないのかもしれないが、先に個別に観ていた側としては、こうまで巧く流れが寸断されずに繋がるものかと思った。それはやはり、今回の劇場公開の目玉である峯田和伸によるインターミッションが予想以上に効果を上げていて、自分が同席した子は『童貞。をプロデュース2 ビューティフル・ドリーマー』だけを先に観ていたという松江哲明第二世代(勝手に今、命名した)の典型な観客なのだが、今回一部をはじめて観て、面白かったがあのまま続けて二部に突入したら台無しだったので、インターミッションがとても良かったと喜んでいたが、正にフルで加賀賢三の『穴奴隷』のカヴァーを聴かせるあの緩やかな時間がうまく観客を弛緩させ、時間を引き延ばし、一部と二部を自然と繋げてしまうブリッジの役割を果たしており感心した。
 松江哲明のPVは、『グッバイ・メロディ』を観ても伺えるが、作りこんであるにしても、その時のその場の時間と空間を丸ごと記録してしまう。

■資料映像
PV 『グッバイ・メロディ』(豊田道倫
演出/松江哲明  撮影/近藤龍人  出演/北田弥恵子 山本剛史

 だから、余計なカットを割ることをしない。1シーン1カットという方法論を、これ見よがしにではなく、必然的な選択として選んでいることが分かる。本作では、深夜と思わしき中野サンモールの路上に座った峯田和伸の横顔をバストサイズで捉えた画面(撮影クレジットは手塚一紀。銀杏BOYZの映像担当の手塚一紀か?)のみで構成されているが、その場のニオイ、空気までもが客席に流れ込んで来る。それは、峯田の後ろにボケ味で映り込む通行人らの姿によっても助長される。立ち竦んで見ている者が途中で座り込んだり、自転車で通過する者がいたり、峯田の真横を通過するヒトがいたりと、日常の営みが行われている中で唄われるのが加賀賢三の『穴奴隷』、それも峯田和伸が唄うという違和感がはじめは凄いのだが、直ぐに聴き入ってしまう。時間は計っていなかったが、5、6分はあったかと思うが、十分以上に感じられるほど時間は引き伸ばされ、一部の余韻を味わいつつ、怒涛の展開だった激しい流れから一転、落ち着いた穏やかな時間を画面を見つめながら過ごしていた。

 一部に関してはこれで四度目なので新たな発見は少なかったが、山下敦弘が松ヶ根で起こる乱射事件をしっかり見せるように、松江哲明が童貞をしっかりプロデュースするこの作品は、タイトルを律儀に全うする。松江のテンポアップした編集技が冴え渡る作品で、四度目でも全く飽きない。もはや次に来るショットが言えるくらいなのだが、高圧縮で詰め込まれた情報量を見せていく手法を楽しんで観ていた。そして前述したスクリーンの大きさによって増した迫力は、童貞崩壊シーンに至っては圧巻で、それだけにカンパニー松尾の言葉の響きも大きく、これまでも感動的に心地良くその言葉を聞いていたのだが、今回は何故か泣きそうになってしまう。そしてラストシーンの映画的なグッと来る<寄り>が更に魅力的に感じることができ、大画面に耐え得る演出が施されていることを感じずにはいられなかった。
 そして、インターミッションを挟んでの第二部である。「第2回ガンダーラ映画祭」での初見の際は、劇中人物同様、観客も一年のインターバルを経ていたので、加賀賢三の激変ぶりを自然に受け入れることができたが、今回は連続となるだけに、前述した『穴奴隷』のカヴァーの効果は絶大で、逆にその激変を笑って受け止めるだけの余裕が観客側にもあったように思う。
 さて、二部の追加シーンだが、冒頭に<目の前のセックスより脳内の恋愛   本田透電波男』>という字幕が出、梅澤嘉朗の家族との関係性の部分を中心に追加されている。秩父に住む彼の最寄り駅の荒廃した様子が増えていることにまず気付いたが、『リアリズムの宿』や『松ヶ根乱射事件』を思わせる、駅前に降り立って茫然という感じが良く出ていて、梅澤君の車が大型トラックに煽られながら登場する様など、実に象徴的な田舎の光景が広がっている。以前の版では、直ぐに彼の自室に入って趣味のハナシに持っていったが、今回は家に入る時に梅澤君の母親と挨拶したり、「ごはんは?」「食べてきました」といった会話が良い。彼の趣味部分に関しては前回書いたので置くとして、追加された家族との関係を示す箇所が素晴らしい。これこそが自分の観たい箇所だった。と言うのも、短縮版を観て、面白くは思ったが、巧みな編集と流れの良さで息つく暇もなく観れてしまうものの、前回の感想を引用しておけば、<ただ、あまりにも綺麗な流れでスルスルと観れてしまっただけに、ブログによれば20分近く長いバージョンが存在するようなので、そこには枝葉の部分が相当埋まっているのではないかという予感がする。そういったメインの流れとは違う枝葉に魅力的なディテイルが埋まっているような気がして、観たいという欲求に駆られる。>ということになる。その<メインの流れとは違う枝葉に魅力的なディテイルが埋まっている>という箇所は、梅澤君の家族との係わりにあった。両親の寝室や弟夫婦の部屋に一人で入り、カメラに向かって語ることで浮き上がる家族との関係、特に弟との微妙な関係は、短縮版では全く描かれていない部分だったので興味深く観ていたが、中学頃から殆ど会話がなくなったという弟と、梅澤君が東京のおばさんの家に居候していた時に起こした出来事と、弟が突然結婚することでそれまで自宅で使用していた部屋を追い出されて別室に移動させられる(これは不要な荷物を多く抱える棚ばかりの部屋に住む者にとっては他人事ではない)といった出来事を経て、不在の弟夫婦の部屋に入り込んで漏らす「毎晩ここでSEXばかりやってるんでしょうねえ」というような言葉の持つ複雑さは、結婚してタダマンできる(若松孝二は、嘗てトークイベントで客席の我々に、アンタ達、結婚しなさいよ。結婚は良いよ。タダマンできるんだから。お母ちゃん金、とんないモンと言った)羨ましさよりも、広い部屋に住んで荷物を色々置けることが羨ましいのではないかと思えた。
 食事シーンも大幅に増えているが、デビュー作からしてキムチが食べられないことを映画にしていた松江哲明にはカレーライスの映画もあるが、その他の作品の多くにも食事シーンがある。自分は、松江作品の食事シーンが好きだ。いまおかしんじの作品に観られる食にも共通しているが、伊丹十三の全作品に<食>と<性>にまつわるシーンがあるように、松江哲明は、<食>と<性>が延長上にあり、セックスと同じように食事中の無防備になっている時には、人間と人間の係わりが日常の流れから変化して裸になる一瞬があることに自覚的で、その一瞬を画面に残す。梅澤君が家族と顔を合わせる食事の席で交わす荒っぽい会話のシーンが増えることで、<食>を媒介にした、彼の外と内での表情の違いや、家族への依存が、絶対に第三者(松江)が入り込むことでは撮影できなかったであろう生々しさで映りこんで来る。その光景は、嘗て観た『あんにょんキムチ』での松江一家と雰囲気は異なるにしてもその家庭内描写の生々しさは同質のものだ。被写体にカメラを預けてしまい、得意の遠隔演出を施すことで(つまり、将来松江監督が獄中につながれるような事態が発生しても、遠隔演出で新作は出来てしまうということだ)得た生々しい家庭内の映像でも、セルフ・ドキュメンタリーを撮ってきた松江だから、その素材との距離感が絶妙で、露悪的になったり、たぶん面白い映像が撮れているであろうから、本筋の往年のアイドルや彼女との関係を描いた箇所とのバランスを崩しかねないという杞憂もなく、情報量の配分が良い。短縮版でこの部分を大枠では残しつつ細部を切り落としたのは、上映時間の関係とは言え枝筋の描写だけに仕方ないにしても、こうして全長版で観ると、ここがこの作品に含みを持たせ、映画を豊かにしていると分かる。特に、デートの為に髪を自分で切るという短縮版でも観られたエピソードの前に、美容師をしている弟夫婦の店(至近距離で二軒に別れている)へ髪を切ろうと夫々行くも、高いから止めて引き返すというエピソードが良く、恐らくそれは高い(それ以前のブックオフめぐりの際の、食事をオニギリで済ませたりといった形が手元に残らないモノへ金を遣うことへの嫌悪が前フリとして活きてくる)からというのは問題ではなく、店へ入り辛いのだろうと思われる。弟夫婦との距離感が象徴的に出ており、続くシーンで弟と顔を合わせるも、テロップで昨日店の前に行ったことは話さなかったことが示される。他人は無責任に、弟夫婦に家で切って貰えれば良いじゃないと言うかもしれないが、それは同じ家に住むがゆえに絶対言い出せないことだ。結局、梅澤君は自分で、ちょっと雑すぎるんじゃないかと言う位荒っぽい手つきで髪を切るのだが、短縮版では窺い知れなかった家族の間の距離をも作品に入れ込んだこの作品は素晴らしい。
 以降の展開は同じなので、幸福な気分で観ていたが、あのヒトが梅澤君の家に来るということが、単なる異物感交流という笑いでしかなかったのが、終盤でそれまでの布石が結実するような奥行きを感じることができ、受ける印象が変わった。
 ここでは、全長版での変更点を主に書いたが、それによって単なる2本立てではなく、一部からインターミッションを経て二部へと、巧く形容できないが、うねるような高まりを持って観ることが出来、個々では佳作として楽しんでいただけだったが、85分の1本の長編映画として異様な迫力を持った濃密な秀作として観ることが出来た。キネ旬ベストテン上位入選確実という噂も、そこまではと観る前は思っていたが、1本化されて観るとそれも頷ける。しかし、この作品は松江哲明の最高傑作でも何でもない。山下敦弘もそうだが、そんな30そこらで山中貞雄じゃあるまいし、そうそう最高傑作を作ってもらっては困る。せっかちに思えるくらい量産されていく新作を連続で鑑賞していけることを喜びつつ、やがて訪れるであろう量産期の終焉の頃に最高傑作が観られれば良い。はじめて観る観客も、既に個別に観ていた観客も『童貞。をプロデュース』に熱狂している今、既に松江哲明の次回作は動いている。次は、松江哲明×林由美香が遂に組む。カンパニー松尾平野勝之いまおかしんじに続く林由美香の代表作が新たに加わる予感に満ちた新作を心して待ちたい。


 ところで、上映規模が大きくなって多様な観客が観に来るようになったせいか、観客のリアクションが異なると思うことがあった。終盤のあのヒトを見ても、ガンダーラ上映時のような大爆笑とはならないのは、単に知らないからというだけか、全長版で印象が異なってきているからか。そういう意味で最近聞いて気になったのは、『松ヶ根乱射事件』のオールナイトで『中学生日記』が上映されても全く笑いが起きなかったという。ロフトプラスワンで『パリ、テキサス、守口』に笑いが起きなかった時も不思議だったが、若い山下監督の熱心なファンは実に生真面目に観るのかしらとも思ったが、同じくロフトで『南の島にダイオウイカを釣りにいく』を上映した際には、前説でよく理解してから観ると、異様に面白く観ることができたこともある。伝わりにくい作品を解説で巧く誘導することで作品が受け入れやすくなるのは良いと思うが、『パリ、テキサス、守口』や『中学生日記』のような普通に観ても大爆笑してしまう秀作が受け入れられないとなると、まさか、これは泣ける映画ですよ、笑える映画なんですよ、と事前に念押しして、観客もその姿勢に入らないと笑ったり、泣いたりしないなんてことはあるのだろうか、などと『童貞。をプロデュース』を個別に何度も観ているが為に、観客の反応に目が行った。

トークショー山下敦弘×松江哲明

 先日、アップリンクでも二人のトークは聞いたばかりだが、『童貞。をプロデュース』をめぐって、そして『松ヶ根乱射事件』との共通項をめぐっての対話。
 以前、自分は「君は山下監督と松江君を同じように並べてどうこうと言うが、はじめから山下監督の方が遥かに上だろう」と面と向かって言われたことがあったが、どういう基準で比べてどれぐらい両人の作品を観た上で言ってるのか知らないが、自分は学生の頃、近い時期に『どんてん生活』『あんにょんキムチ』を観て同じく面白かったので、近い世代ではじめて素直に巧い、面白いと言える映画作家が出たと無邪気に喜んでいた口なので、どちらが上と思ったこともなく、そもそもそう簡単に比較できるできるほど単純な作品を両者は撮っていない。本当に比較するなら、近藤龍人は山下作品の場合はこうで、松江作品の場合はこうだとか、具体的各ショットの分析までするぐらいでないとそう易々とは言えまい。互いに刺激を与え合ってるのは作品を順に観ていけば明らかだし、それは今後も続くであろうと、二人のトークを聞きながら改めて思った。

 
 ちなみにこの日は僅かながらも初日を上回る観客動員を記録したそうで、更には当初9/7マデの上映だったのが、1週間延長が決定し、〜9/14(金)マデ、池袋シネマ・ロサでレイトショー上映されるそうだ。実際、話題はどんどん広がっているようで、劇場から出てくると、向こうから男女が劇場の看板に向かって走ってきて、『童貞。をプロデュース』のポスターを指差して、「コレ観たいんだ。面白そー」とデカイ声で言うのである。どうせ嘘つきドキュメンタリー監督の仕込みだろうと辺りをキョロキョロと見回してみたが、誰もいなかった。本当にあんな分かりやすいリアクションする奴がいるのかと今でも半信半疑だが、とにかく、今、池袋シネマ・ロサはそんなことになっている。