『歩いても 歩いても』(☆☆☆★★★)

 新宿武蔵野館で、是枝裕和の『歩いても 歩いても』(☆☆☆★★★)を観る。
 是枝裕和の劇映画の中では、『誰も知らない』に次ぐ秀作だと思う。
 開巻の黒画面には、既に台所で刻まれているのであろう包丁の立てる音が響いている。フェードインした画面の手前には人参が、奥では大根が剥かれている。観客はそこにある野菜の触覚性を画面から感じることができることに驚きを感じるだろう。画面から、その匂い、感触が瞬時に客席まで届くのだから。観客は、同時にその野菜の調理に余念のない二人の女性―老母と、そう若くは無い筈が不思議と幼児性を併せ持つ女性に親子の関係性があるであろうことを感じ取る。
 <食>によって冒頭から画面を豊かにさせる是枝裕和の新作は、死者をめぐる家族の物語を、日本の風習の中で<食>を介して描く。
 冒頭近くは、料理とその家の父である原田芳雄が歩く姿をカットバックで見せる。その妻を樹木希林が、娘をYOUが演じるという、一歩間違えれば、アンサンブルの取れない全員バラバラの好き勝手な芝居をしそうな雰囲気が漂う中、是枝裕和の前作『花よりもなほ』の失敗を思い出し、下手すればより酷い惨状が展開しかねないと一瞬思う。しかし、是枝裕和は、しばらく原田芳雄に喋らせないようにする。喋らせずに歩かせ、家の中を手持ち無沙汰に徘徊させる。一方、樹木希林とYOUには、ノーメイクで演技させる。山崎裕のカメラは厳密にカットを割り、ルーズな画など1カットもなく緊迫感溢れる画面を作り出していく。室内は全てセット撮影のようだが、自然な光が室内を照らしだし、セットとは思えない。
 夫婦の息子である阿部寛と子連れで再婚した夏川結衣とその連れ子が西瓜片手に家に来た時も、西瓜を冷やしたりといった食をめぐる描写が濃密だ。それに続くトウモロコシや海老を剥くのに、家族がちょっとした会話を交わすのが良い。長らく黙り込んでいた原田芳雄が、そういう時に話に少し入りこんできたりするのも良い。
 夏に親戚が集まった時のような非日常的な時間の流れを巧みに描いたこの作品には、この段階でその魅力に心を奪われるのを感じたが、それにしても、このキャストでそれが出来てしまうのに感嘆する。素人や無名俳優に自然な演技をさせたというならまだしも、これだけアクの強い、殊に原田芳雄樹木希林が夫婦なんてのは、アナーキー過ぎる気がするが、阿部寛夏川結衣がきちんと納まった芝居をしようとすると、時として原田芳雄樹木希林はかき乱そうとする。それはもう年長と言えども隙あらば画面をかっさらってしまおうとしている人たちだからそうなるのだが、そっちに芝居が引っ張られそうになると、その間でYOUがそれを潰しにかかる。『誰も知らない』でもそうだったが、是枝作品のYOUは、ドキュメンタリーとフィクションの狭間を漂うミューズとして作品の根幹を担う。結果、こういったキャストで家の中の1日の家族の物語を描くとなった時に、小津や成瀬や向田だと言われがちながら、是枝裕和でしかない空間が築き上げられていた。
 YOUの子供達と、阿部の連れ子が外に出るシーンがある。その中で花に触れるシーンがあるが、ここでもその触覚性にはハッとさせられた。『誰も知らない』のセルフリメイク的なシーンだが、果たしてこのシーンが必要だったかという思いはあれども、美しいシーンだった。
 YOU一家が夕方前に帰り(書き忘れていたが、控え目な夫を演じた高橋和也が良かった。殆どロングがせいぜいバストサイズぐらいでしか撮られていなかったが、存在感を出していた)、家族の多い親類が帰った後の家が静寂に包まれる感じがよく出ていた。食に関して言えばこの席での出前を取った鰻も良い。
 これらのディテイルの積み重ねが、夜も更けた中、樹木希林の語る悪意と優しさが際立つ。更に言えば、過剰な押しとする見方もあろうが、室内に蝶が舞いこんできた時の描写なども、原田芳雄の存在もあって黒木和雄へのオマージュとも受け取れる。しかし、これらの下手すれば映画が壊れかねない描写が成立しているのは、それまでの実直なカットの積み重ねの成功によるものだろう。
 かつては日本映画が得意とした家族の物語が新たな形で再生させたことに喜びを感じながら、この秀作を何度も繰り返し観たいという欲求に駆られる。

 パンフレット購入。千円。高い。