脚本家 野沢尚自殺

 

 先日の篠田昇に続いて、個人的に思い入れの強い映画人がまた唐突な死を迎えた。しかも篠田の様に生きたかったに違いない人を横目に、自ら命を絶つなど言語道断である。
 野沢尚は脚本家としての憧れであり、理想の姿であった。何せ日大映画学科卒業と同時に城戸賞受賞。23歳にして脚本家デビューを飾り、映画、テレビで花形として活躍した。妻子も有り、確か子供は未だ13、4歳の筈である。現在の脚本家の中でも三指に入る上、作家としても、これ以上ないくらい順風満帆に傍目には見えた。それだけに何故、という思いが消えない。作家だから、というのは理由にもならない。NHKのスペシャ大河ドラマ坂の上の雲」の脚本が遅れて製作延期になっているという報道を聞いた時、野沢尚にしては珍しいとは思ったが、これが直接の原因となったのだろうか?しかし、第1稿はあがっていたとも言う。脚本家、作家として大成功し、妻子もあり将来も期待され、44歳という最も良い仕事ができる時期に自ら全てを壊してしまったのは、自身の能力に全てを依存する仕事故のことだろうか。純粋に惜しいと思う。
 野沢尚の名前を意識したのは「シナリオ」に連載されていたエッセイからで、やがてキネマ旬報社から「映画館に日本映画があった頃」として単行本化されたのを繰り返し読んだ。その後、野沢尚の脚本が載る「ドラマ」誌は必ず買うようにしていた。
 あまりにも恵まれた仕事ぶりに、やっかみ的思いを抱かなくもなかった。映画、TV、舞台、小説と多様な仕事が、それぞれに評価されるのは良いが仕事が広がり過ぎて、作家としての個が弱いのではないか。木下恵介的在り方というか、同時代的評価は得ても、永年的評価、後年からの再評価はされにくいのではないか。才に溺れているのではないか、等と僅かな作品しか読んでいない身で直感的に思ったこともあったが、今となっては何になるものでもない。重要な才能がまた消えた。