書籍 『映画が目にしみる』

20)『映画が目にしみる』小林信彦  (文藝春秋)

映画が目にしみる 
 何でこんなことになってしまったのだろう。小林信彦の新刊『映画が目にしみる』のことである。この魅力のないタイトルの新刊が、あの『コラム〜』シリーズの新刊であると知っているヒトはどれくらい居るのだろうか。
 キネ旬に連載されていた『小林信彦のコラム』は、集英社から『地獄の観光船』として纏められ、単行本・文庫が出ていたが、ちくまからその連載の80年代分を纏めた『コラムは笑う―エンタテインメント評判記 1983〜88』が単行本化されて以降、『地獄の観光船』も『コラムは踊る―エンタテインメント評判記 1977〜81』と改題されて文庫化され、その後も『地獄の映画館』を大幅に再編集して、60年代前半の映画評を集めた分厚い文庫『コラムは歌う―エンタテインメント評判記 1960〜63』が出るなど、コラムシリーズとして出版され続けた。90年代に入り、小林信彦はコラム執筆の場をキネ旬から中日新聞に移し、そちらもコラムシリーズとして以降も出版されている。ただし、ちくまから出ていたのは次の『コラムにご用心―エンタテインメント評判記1989〜92』までで、以降は新潮社に移行しているが、タイトル、体裁、和田誠の表紙もそのままに続き、『コラムの冒険―エンタテインメント時評1992〜95』『コラムは誘う―エンタテインメント時評1995〜98』『コラムの逆襲―エンタテインメント時評1999〜2002』と出版されているが、ちくま文庫は今や新刊書店では入手できないが、新潮文庫の近年の分はまだ入手できる筈だ。
 中学、高校の頃、『コラムは踊る―エンタテインメント評判記 1977〜81』『コラムは笑う―エンタテインメント評判記 1983〜88』を飽きもせず、ひたすら何度も何度も読み返していた。面白くて、わかりやすくて、マニアックで、映画、演劇、テレビ、笑、アイドルを網羅して濃密な文章に魅せられた。だからその分、中日新聞に場を移してからは、ページ数が少なくなったことや、キネ旬と違い読者が幅広いので、その辺りを意識した文体や内容の変化や、何より、この頃から往年に比べると出不精になってビデオ鑑賞が増えてきたせいもあって、以前の魅力に比べると、と思う部分が増えた。それでもやはり読み応えはあり、文体が簡潔になろうとも、濃密な情報量を入れ込む技の凄さは伺えるのだが。
 4年に一度のお楽しみである中日新聞連載の単行本化は、暇な学生の頃は図書館に行って態々連載を読んでいたこともあったが、今となっては、一気に未読の小林信彦のエンターテインメント時評が読めるという楽しさに満ちてはいるのだが、『週刊文春』での連載が始まってからは、アチラでもエンターテインメント時評を割合頻繁にやるので、内容が被ったりすることもあり、以前程、読んでいて興奮することもなくなったが、とは言え、全部丸ごとエンターテインメント評なので、こちらの方が嬉しいに決まっているが。
 というわけで、そろそろ新刊が出る時期なので、今年はずっとまだかまだかと待っていたが、出る気配がない。唐突に年末に 文藝春秋から『映画が目にしみる』という新刊が出るという。まさかと思っていたら、本当にちくまから新潮社経て移籍したらしく、2002年〜2006の連載を纏めたものだった。しかし、それなら何故、長年続いてきたコラムシリーズを継承しないのか。しかも、新書サイズで三段組という読みにくさで、双葉十三郎の『ぼくの採点表』のダイジェストを同じく文藝春秋から新書で出しているが、あれと同じく、まるでDVDガイドの様な扱いなのだ。双葉十三郎小林信彦の映画評やコラムをたかがDVDガイドと同じ様に扱うとはどういう了見なんだろうか。しかも『映画が目にしみる』にはこれまでのシリーズとは完全に趣きを変えており、和田誠のイラストもなければ索引もないし、前書きも後書きもない。だから読者はこれがコラムシリーズの新刊ということがわからない。単行本化の際のケアをちゃんとやる小林信彦にしては実に珍しく、と言うか奇妙で、本人の意思としては、これで良いのだろうか?
 内容は少し読んだだけでも、相変わらず枯れてもまだ面白さは残っているだけに読むのが楽しみだが、コラムシリーズへの愛着を持つ者には寂しい。
 尚、中日新聞の連載は、隔週から月イチに変わったそうで、それならキネ旬ででももう少し濃い内容のコラム連載を復活して欲しい。