『奴隷』

molmot2007-05-28

130)『奴隷』  (浅草世界館) ☆☆☆ 

2007年 日本 新東宝 カラー ビスタ 分
監督/佐藤吏    脚本/福原彰     出演/平沢里菜子 本多菊次朗 千葉尚之 淡島小鞠 荒木太郎 久保新二


 観る機会を悉く逃し、とうとう上野オークラでも逃したし、次のポレポレのR18は竹洞組だし、やはり追いかけなければ観れないと、浅草世界館まで観に行く。と言っても、ココはスクリーンは小さいながらもゆっくり観れる劇場なので環境としては悪くない。それに最終回で殆ど客も居なかったし。
 以前、柳下毅一郎氏が、<平沢里菜子はいかに使うべきか?と頭を悩ましている。>と書いていたが、平沢里菜子のファンになってしまうと、本当にそうなる。前も、平沢里菜子好きの女性と、平沢里菜子に合う役柄は何かを真剣に語り合ってしまったが、『(秘)色情めす市場』をリメイクするとして、と考えると、宮下順子ポジションか、芹明香ではない、別の先輩娼婦的な役を新たに付け加えて、それを平沢里菜子がやれば…などとラチもないことを延々と考えてしまうのだ(ま、あまりこんなことばかり書いていると、直ぐにリナコビビエスで平沢さん本人に報告が行ってしまうので恥ずかしいから止めておこう)。
 ようやく観た『奴隷』は、久々にちゃんとした商品になっている映画を観た、という満足感で楽しめた作品だった。そりゃアンタ、最近映画館で観た映画の大半が愚にもつかない自主映画ばかりで、それでも何とか良いところを探して見ようとしてたんだから疲弊するというものだ。
 その点『奴隷』は、平沢里菜子原案の自伝的要素の入った、などと事前に聞かされていたので、内向的な個人映画の歪なバランスの作品を見せられるのかと思っていたが、福原彰と佐藤吏の手腕によるものなのだろう、普遍的なプログラムピクチャーに仕上げていて、プロの技だと感心した。
 開巻の、『処女ゲバゲバ』みたいな荒野の木に縛られ吊るされている全裸の平沢という意表をつく画から始まるので、こんなの不用意に頭に出すと後の処理が大変だぞと不安になるも、大きなお世話で、ナレーションで滑らかに女子高生の頃のMへの目覚めに入り、OLとなって上司との奴隷関係を結ぶ過程を無駄なく描いているので良い。エロさもうまい具合に配置されているから、観ていてエロいな〜とボーっと観ながら思える理想的ポルノで、作品として諸手を挙げて傑作だ、などというものではないが、ドラマ部分も含めて、こういう全方向的に過不足ない作品が中心にあってこそ、だと思う。
 感心したのは、SMもスンナリ観れてしまうことで、別に自分はSMが好きでも嫌いでもないので、観ていて生理的に受け付けないなどということはないから、毎回、漫然と画面を見つめているだけなのだが、往々にして、妙に気張った演出や、安っぽいドロドロしたものを入れ込もうとして空転させる演出を見せられ困惑することがあるのに、本作では元来、平沢里菜子がソチラ方面のプロということもあるのだろうが、自然にSNが成立して見れてしまうし、平沢が縛られると魅力を増すという才の持ち主だし、演出もSMをこれみよがしにしないので、スンナリ観れてしまう。観ながら、こんな場末のガラガラの成人館でオトコ一人で観るのは勿体無いなと。平沢里菜子やピンク好きの女性が観るのに丁度良い作品だろうなと思いながら観ていた。
 全篇、平沢里菜子なのでハナから満足度は高いのだが、勢い込んで不出来なモノになっていてもおかしくない作品でありながら、全くそうはならず適度なバランスで仕上がっていたので楽しめた。ラストの画も成立してしまっていたのだから大したものだ。
 中盤でビデオ撮影の、キネコではなく恐らくプロジェクターでスクリーンに映写したものを35mmで撮ったものと想像される映像が延々続くのには閉口させられたり、すっかり作劇の流れに乗せられて入り込んで見ていたら、SM店のシーンで客席に、柳下・直井・松江という、ピンで出ていても相当目立つ各氏が3人並んで座っているので、飲んでたコーヒーを噴出しそうになったとか、全部で3カットほどの僅かなインサートカットでの出演ではあったが、気になって気になって仕方なかったとか、その他、作品としては色々あるのだが、平沢里菜子による早過ぎる総括としても興味深かった。